日記
2007年5月20日(日)

お風呂のタオルは紫色の「武蔵亭」のもの。多分、7年ほど前に日帰りで温泉入浴に行った時のものだろう。
湯船の中で、その時代から今日までを振り返ってみた。毎週のように休日には、日帰り温泉めぐりをしていたのだが、以来皆無になってしまった。
休日が殆どない多忙な日々、その後の姫の発病によってだ。
この春、4回目の入院生活から開放されたものの、症状が優れない。
GW頃から、公私共に頭にくることが多発する。
今夜、永年にわたり髪を整えて頂いているGoodの奥さんから、「頭皮が荒れているよ、ストレスが溜まっているんじゃない」、「HPの更新が疎かね」と言われてしまった。
正解です。
私的な面では、自らの不注意による足の怪我、パソコンは連ちゃんの故障、車は週に2回もパンク、それもタイヤサイドを刺されたことが判明。

2007年4月30日(月)
GW前半の早朝

GWで日ごろの疲れもとれ、体が軽やかである。三日目の30日は、日の出と同時に起床する。
早速、愛犬Pettyと連れだって、朝の散歩。
外は快晴、気温3℃、昨日の暖かさが嘘のように、身が引き締まる。
空気は軽く、透き通り、爽やか。雲ひとつない、青く澄み渡った空に鯉のぼりが靡く。
背景は残雪の手稲山。
庭先のエゾむらさきつつじは、青い空に対し、誇らしげなコントラストを示す。
早起きは三文の得。  5時30分

2007年4月2日(月)
北国の春
昨日、隣家の庭先に福寿草を見つけた。花言葉は「幸福」、「幸せを招く」。
残雪が姿を消すと同時に黄色い可憐な花を咲かせるせている。真っ先に存在感を示す、小さくて可憐でも偉大な花だ。
我が家の福寿草を探してみると、あるある、太い茎がニョキッと出ている。数日遅れの開花となるだろう。
我が家の春のイベントは、毎年盛りだくさんなのだが、今年は少ない。番外で、3年間の社会人生活を経て次男が学業に戻り、東京芸大大学院で先端芸術表現を修めることになる。脛かじりが減るのが春なのに、何たることか。
あとは、入院加療中の姫君の容態が緩和され、自宅生活可能状態になるのを待つのみ。
近所の、畑作業のベテランと道端会議をする。その際、「ポット作りはもう遅いよ、でも間に合うかな」と言われる。
夕刻からは、土日農家の仕事初めとなる。培土とポット、種を購入し、早速ポット作りを始める。
作ったポット200個、花、トウモロコシ、えんどう、とまと、きゅうり、ししとうなど。一部屋の出窓に並べるが、とうてい無理。発芽してから考えよう。やはり春なのだ。
←トウモロコシ
2007年3月24日(土)
ぺこちゃん復活

出窓のペコちゃん

ペコちゃんが姿を見せなくなっていたが、23日より復活することになった。
我が家の窓の一角に陣取っているペコちゃんにも笑顔が戻ってきたようだ。
早速、姫君の差し入れにケーキを購入して届ける。更に、本日は一日遅れの4男の誕生祝いにバースデーケーキを求める。
両日とも品切れになり、再開への期待は大きかったようだ。お店の店長さんも嬉しそう。私のみならず、常連のお客様からも励ましの言葉が続く。
食べ物に関する品質管理には特に厳格にやってもらいたいものだ。
誕生祝いはペコちゃんケーキとサーロインを用いたプルコギ。
子ども達はステーキを期待していたようだが、私は二日続きとなるので、本日はメルティークサーロインを薄切りにしたプルコギとする。
このお肉は石狩市にあるホクビー社が製造する、牛肉に牛脂を注入してジューシーに仕上げた加工肉で、柔らかくてとても美味しい。
3袋をあっと言う間に平らげてしまった。姫君の分として1袋は元気になったら食べれるように残しておこう。
残念なことに、この製品をスーパーの店頭で見ることはない。beko倶楽部を経由しなければ入手が困難なようだ。

2007年3月2日(金)
末娘のお誕生日

我が家、この娘のみが女の子。上には5人のお兄ちゃん。
Pettyの6歳の誕生日です。6年前、4男の誕生日祝いに欲しいものは何?、犬を飼いたい。
赤ちゃんが我が家に来て、早6年。赤ちゃんの時に心臓の疾患が分かり、生死をかけた手術をしたとは思えない元気なさで6歳を迎えた。
お祝いは、お肉を丸く形作り、スティクを6本立てたバースデーケーキです。ご主人の椅子に乗り、ご満悦の様子。
それに反し、我が家の姫の体調が優れない。2年ほど小康状態を保っていたが、本日の検診にて即刻入院加療を宣告される。過去の入院は何れも四ヶ月に及んだが、今回は多分短めではないかと期待している。

2007年2月3日(土)
今年も2等賞

年賀状のお年玉で2等賞が当たり、本日到着。
今年は2等賞(地域の特産小包み):1本、3等賞(切手シート):7本が当たる。
大勢で食べられるものとして、九州のさつまあげを指定した。
先日の新聞に掲載されていたが、地域特産小包みとはいえ、原料が外国製に対する不満があるようだ。
この製品も原料のイトヨリはタイ、スケソウダラはアメリカとのこと。鹿児島で加工なので「さつまあげ」、ま・仕方がないか。かまぼこの主原料はスケソウなので、北海道産かと思っていたが、意外にもベーリング海で取れた物が多いのだそうだ。朝日新聞bereportによると、かまぼこの原料は価格の高騰が急激に進んでいるらしい。健康志向で「肉から魚」へ流れ、中国の消費拡大などが影響しているそうだ。
1万分の1の確率の2等賞が二年連続で当たったのはラッキーだ。

2007年2月1日(木)
浜松市へ

先日の日記は「春近し?」
うかつに期待を込めて言うものではない。火曜日にはまとまった降雪がある。空港は午後から閉鎖してしまった。
翌朝の朝一便で名古屋経由で浜松市を訪れることになっていたが、搭乗予定の便の機材ぐりがつかず、大幅に遅れる羽目となる。何とか2時間近い遅れが出たものの、約束の時刻には間に合う。
機上から下を眺めると、この時期には雪のある新潟市周辺には雪がない。昨年は豪雪で被害が続出した界隈は景色が違っていた。間もなく眼下には白馬連邦。馬の背の稜線が見事である。この風景は何度見ても美しい。
やがて、北アルプスだ。常念岳を見つけ、槍を探しているうちに穂高を過ぎ、乗鞍岳が見える。このまま、思い出のある松本空港に降りたくなる。間もなく降下し、名古屋に向かう。今回は初めて、中部国際空港への着陸だ。空港から浜松市へは高速バスで移動。
お客様と浜松市で待ち合わせをし、ある会社を訪問することにしているのだが、偶然にもバスで同席することとなる。ご縁の濃さを感じた。このご縁を大切にしなくてはと。
翌朝、太平洋からのご来光を拝む。海面を赤く染めて躍動する陽、この世の誕生を見るようだ。
この陽が今次の日の出なのだろう。浜松の皆さまと手を携えて・・・・

2007年1月27日(土)
春近し?

今年は雪の少ない年のようだ。
我が家の地区の降雪量は本日時点で165cm、豪雪だった昨年は315cmなので、昨年の半分の量である。
手稲区は少ないとはいえ、札幌市南部は例年通りのようだ。
来週末には立春を迎えるので、北国の冬は折り返し地点を過ぎたのだろう。
お魚屋さんの店頭に「鰊」を見つけた。多少小ぶりではある。
これは近くの厚田で採れたものだ。早速食卓に登場する。勿論塩焼きだ。大根おろしは近所の土日農家N氏が収穫したビタミン大根。水分が少なく辛味があり、ベストフィット。
残念ながら、数の子はなく、全数オス。尤も、魚は雄が美味しいので不満はない。旬を味わう幸せに浸る。
鰊を食べれば春はもうそこまで?。一寸気が早いか!!。

2007年1月1日(月)
2007年の幕開け

2007年の幕開けを、札幌近郊の定山渓温泉で過ごしてきた。
ここ十数年来、変わりのない、親子三代による大晦日〜元旦の過ごし方である。
2006年の無事を感謝し、2007年の幕開けを祝う。肌がふやける程に温泉に浸かり、身と心の垢を洗い流し、英気を養う。
毎回、新たな発見を求めて、近郊の温泉地(登別、洞爺、大滝、定山渓など)を巡るのだが、今回は連続して「花もみじ」とする。各ホテルとも大晦日〜元旦のメニューは素晴らしい。贅沢三昧に過ごさせて下さる。
夕食のメニューはどこのホテルも料理長が目と鼻と舌を満足させてくれる。更に、私の胃の大きさでは全部を平らげること不可能。食べ盛りの息子達でも、根性を入れ直し、気合いで完食したほど。
これは、一の膳だけ、隣の二の膳(蟹、寄せ鍋など)・おせち料理は写っていない。
英気を養って、今年のエネルギーにしよう。新たな・気負った抱負はないが、少しづつ、少しづつ改善を図っていこう。
贅沢なお正月の過ごし方は今年限りか?。

2006年12月17日(日)
北海道麦酒党忘年会

昨年に引き続き、参加してみた。麦酒党との友好団体を含め80名ほどの参加。
ビール造りは、まだまだ初心者との思いがあり、自作ビールを所持せず、燻製(スモークサーモン、さば)を少々持参した。
党首の坂本氏は、なんと、私のビールコーナーを用意して下さっているではないか。残念ではあるが、ビールの出展は無しで、燻製のみとなる。
コーナ割り当てられた各人、創意工夫を凝らした自作ビールを壇上で誇らしげに解説するも、私はほぼ無言。こんなことならば、持参するのだった。同行したK氏と共に来年こそはと決意を新たにした。
意外な発見があった。ビール造りを志す人の多くは燻製作りに興味があるのだ。セカンド名詞に燻製工房、燻製研究を名乗る2名にも遭遇。会話にもお互いに通じるもの多々あり。

収穫の多い会であった。自作燻製が頗る好評であったこと、出展はしなかったが、自作ビールのレベルは遜色がないことが分かったこと、参加者の皆さんは多種多様なご活躍をされるなか、セカンドライフを楽しむ余裕を持っていること・・・
二次会では、メンバーと深みのある意見交換ができた。来年こそはと、決意を新たにした。
日本国内では、酒税法の規定により1%以上のアルコールを含有するお酒を作れないことが残念だ。

2006年12月2日(土)
8年振りの九州

仕事の会議で久しぶりに九州(福岡)を訪れた。
師走とはいえ、北国・北海道と比べると、とっても温かい。街行く人がコートを着用しているのは3割程度、寒さをしのぐのではなく、ファッションとしての着用に見える。
便の都合により早めに現地入りをしたので、市内見聞を図ってみよう。
目的の職場から近場のポイントを自足を使って歩く。お寺が集中している御供所町、最初に目に入ったのはは禅宗の承天禅寺、歴史あり・由緒あるお寺のようだ。立ち入り禁止となっている所から一歩踏み込んだ所は、白い小石を敷き詰めた庭。美しい。じっと、見とれてしまう。
次は、少々離れた、博多祇園山笠で知られる、博多の総鎮守・櫛田神社だ。歓楽街・中州に渡る手前に位置する。
境内に公開されている飾り山笠は見事だ。外国人観光客も多く、3組の外国人観光客から写真撮影を依頼された。撮影に渡されるカメラは何れも日本製品。不思議な気持ちになる。
仕事を終え、各地から集まったメンバーと意見交換をした後、一人で中州に出かける。コミュニティ誌(全国版)に掲載されていた燻製を味わえるお店を訪ねる。お店のマスターと一時・燻製談義を交わし(九州の焼酎を鱈腹いただき)、更に那珂川の屋台ラーメンで腹ごしらえ。 帰宅した2日は、うって変わって雪化粧の北国であった。

2006年11月18日(土)
食へのこだわり

昨日から、大阪に在住の次男が里帰り。それに併せて、長男も泊まりに来ている。
それならばと、この時ばかりに旨いものを食べさせてあげたい。
男5人兄弟に、何を食べたいかと問いかけると、決まって「お肉」と言うので、本日はリクエストを聞かず、魚ベースでいくことにする。 今夜は、鱈をベースとした鍋とイクラ丼。
鱈は丸々と太ったものは入荷しておらず、ごく普通サイズを1本、生イクラを2s、丸々としたホッケを5本仕入れてきた。
鍋は昆布と鱈の頭でダシをとり、醤油味の寄せ鍋を作る。
イクラは鮭の不漁から高値続きだったが、このところ値下がり気味で、g当たり250円程度で求めやすくなってきた。醤油をベースに酒とみりんで味を調える。我が家の味の出来上がり。
今夜は食べられないが、ホッケは背開きにし、薄塩味で干す。  何れも市販品より数段勝る。
更に、本格ビールの仕込みだ。活きた酵母を味わうことのできる手作りビール。モルトはプレミアムラガーを使用する。
最近、モルトの使用量を高めたビールが人気だが、手作りビールならばお手のもの。だが、残念ながら日本国内では酒税法の制約から、アルコール度数が1%未満のお酒しか作ることができない。
このビールは熟成を待って、お正月用となる。

2006年11月5日(日)
フッーと一息

三連休。アッという間に最終日の午後10時。
初日は、春から秋まで楽しませてもらった畑の後始末。竹、トンネル部材、スコップなどを片付けてくる。畑とお天道様に感謝の気持ちでいっぱい。
二日目、一週間分の食料買出し、午後からは一人で沢庵漬けの作業。
初めての体験である。先週の収穫大根も程ほどに干せてきたので、チャレンジする。
師mmさまのお勧め、ご指導による。大根30本、米糠、塩、砂糖、唐辛子、色付けにウコンを攪拌し、漬物樽に一本づつ丁寧に漬けていく。妻曰く、よくやるわね!!。
三日目、ビーバーの活動日だ。
絶好の日和のはず、朝、手稲を出たときは晴れている。目的地の開拓の村に近づくにつれ雨脚が強くなってくる。
天気予報は晴れ、温暖な一日。にわか雨と思いきや、降り止まない。終始雨に叩かれる。帰路も大雨、高速道路は前方が見えないほどの雨量。
ん、帰路半ば(僅か10分後)から道路が乾いている。西区・手稲区では降雨なしだった。
幾度も虹を見たが、札幌市内の局地的な大雨だったのだ。
帰宅後、再び漬物作業。
大根のぶどう漬けだ。大根、ぶどう共に栽培したものだ。ぶどうは自宅脇の果樹園(?)で採ったもので、100%自家製だ。
大根6s、ぶどう(キャンベル)6s、とっても贅沢な漬物だ。味見は一週間後。
mm様、しばしの間、お待ちくださいませ。とと様(先週来の私のあだ名:命名neneさま)が本物か、贋ものか。漬物に興味を持つ知人は沢山いる、若い人は皆無。私も爺が近いのか。

ビーバー隊の活動記録を更新して、本日の作業完了。ふっ〜。

2006年10月29日(日)
土日農家もシーズン終了

春から秋にかけ、忙しくも楽しかった、土日農家生活もシーズン終了か。
大根と人参を全て収穫した。大根は約80本、人参は30s程はあろう。
大根は越冬用に50本程を洗って、乾燥しないように新聞紙に包み、地下倉庫に保存。残りは沢庵漬けにでもしよう。mmさんに塩加減を教えていただく。
人参は土のついたまま、大きな発泡スチロールの箱に入れ、土を被せて保管。
保存にもコツがあるのだ。大根は立てておくことと乾燥防止のため、濡れた新聞紙などを載せると良い。
人参は洗わないことと土を被せておくことだそうだ。
初めての本格的な畑作業ではあったが、生産物は大量で、自家消費+双方の両親分を賄うことができた。
何といっても、新鮮であることと無農薬のため安心して食べることができる。そして、美味しいのだ。
畑はとても寂しくなり、残すは白菜と大根菜のみ。白菜は種まきが遅かったのか、未だ収穫できる大きさにない。
今から、春が待ち遠しく感じられる。

2006年10月7日(土)
芸術の秋?

南出さん

体育の日を含む3連休ではあるが、生憎、夏からの好天が途切れた連休初日である。
四男の通うN高校のPTAがオペラに接する催しを企画していたので出かけた。
プッチーニの「蝶々夫人」の上演だ。フルオーケストラではなく、ピアノ伴奏によるものだ。
出演は札幌市の若手声ACE家を中心にした社会人オペラの会「ラ・コンパニーア・アルモーニカ」の皆さん達。
蝶々夫人を演じた、代表の南出薫さんは北海道出身、札幌N高のOBであり、北海道二期会所属、音楽コンクールでグランプリを受賞したこともある声楽家である。
八木幸三氏の解説付き、字幕つき、オペラを聴く初心者にはとっても優しい構成である。
普通は3時間に及ぶ舞台を半分に圧縮したダイジェストではあるが、南出さんの、誰もが知るアリア(ある晴れた日に海のかなたに一筋の煙がたなびきやがて一隻の船が現れるの♪)は圧巻であり、ピンカートンも良かった。スズキを演じる斉藤みゆきさんも最高。
普通はン万円もするオペラ上演を、エッセンスのみではあるが堪能させていただいた。地元にこのような団体が存在することを知り嬉しく思う。
最近、鬱蒼とする心に肥しを得た思いがする。日々の喧騒の中で心に栄養を与えてくれるのは音楽であり、絵であり、本であり、心の芸術なのだな。
明日はアナログのレコードで好きなシンフォニーでも聴いてみようか。そして本を読もう、今年はまだ57冊で目標に届かない。芸術の秋を実践するぞ。
嬉しい、頭の痛い芸術の秋が飛び込んできた。社会人の次男が学生に逆戻りをする。来春、いきざまを極めるめるため、T芸大の大学院入学が決まった。細いこの脛に肉がない悩み。ア〜芸術の秋。

2006年9月17日(日)
燻製工房のシーズン到来

スモーカの中のサンマ

一日の最低気温が15℃ほどにまで下がるようになってきた。生鮮品を素材とする燻製作りは、気温が高ければ難しい。スモークウッドではなく、自前のチップを使うにはにヒータを必要とするからだ。
燻煙をするために外気温+15℃ほどの温度上昇が避けられない。
昨日、サンマを2箱調達してきた。一部はサンマ刺しで食べ、残りの35匹を燻製にする。
調理に1時間、味付け(塩蔵)に6時間、夜間から一日ほどで表面が乾く程度まで乾燥させ、深夜から燻し作業に入った。冷燻(30℃)で3時間燻し、その後は温薫(65℃)で1時間。表面が黄ばんで輝いてきた。温薫で長時間燻すと脂が落ちすぎるので、できるだけ冷燻をかけ、温薫時間を必要最小限に短くしている。
チップはリンゴ、桜だ。いずれも、この地域で成育し役割を終えた木である。サンマは釧路で水揚げしたもの、塩をはじめとする調味料からチップまで、全ての素材の出所は明白で、トレーサビリティは完璧。
同じ原料を使用して、燻製仲間のkちゃんも同時進行。師匠として失敗は許されない。明日夜に仕上げの燻し、香りと見た目をよりよくするための工夫をこらそう。もう深夜ではなく明け方に近い。
最近、職場の某嬢が燻製に挑戦し始めたとのこと。手始めにチーズを燻してみたそうだが、結果は芳しくないようだった。この稼業、失敗・反省の繰り返しがあって、一歩ずつ満足に近づいていく。失敗こそ美味しいもの造りへの道の財産となる。
土日農家、成功が多かったが、失敗もあり。失敗作もそれなりに美味。農家の失敗を活かした再挑戦は一年後となる。それに比べれば燻製は短期間に何回でも挑戦できる良さがある。


チップ
2006年9月10日(日)
稔の秋

6月、7月は冷夏、8月は猛暑、さま変わりの夏は終わった。
土日農家にとっては収穫に忙しい。ポリタンクを車に満載してカラカラに乾いた畑に水を補った苦労が報われる。
西瓜は既に5個を収穫し、トウモロコシは全て収穫した。
トウモロコシは自家栽培に勝るものなし、市販品とは雲泥の差。聞いてはいたが、もぎたてがこれほど美味しいとは思わなかった。
本日の収穫は、他に、カボチャ9個、トマト、キュウリ、葱、ピーマン、ししとう等で、畑は日増しに寂しくなっていく。
生育中の野菜は晩秋に収穫する秋大根、白菜。
収穫後の畑を耕し、葉大根の種を蒔く。葉大根は4回目である。
楽しみで始めた土日農家ではあるが、思わぬところに効果が出てきた。収穫した野菜は自家のみでは消費できない量であり、近所に住む双方の両親に消費を手伝ってもらうことになる。
頻繁に運ぶため、コミュニケーションも豊かになり、親孝行、このうえなし。
今日は、私の繰上げ誕生祝い。私の年齢は秋なのだろう。こちらの方は稔の秋というより、立ち枯れの秋か!!!

2006年8月13日(日)
夏休み
私の夏休みは1週間。ちょうど半ばを終えた。
今年はスケジュールのない、その日暮らしの日々を送っている。
できることなら、家庭内作業場所の整理整頓、仕掛中のHPリニューアル作業を手がけてみたい。
作業場所はかつて両親が居住していたDKと地下に8畳程の専用書斎があり、機能が散ぜんとしている。燻製の調理場兼パソコン置き場を一箇所に集中させ、より機能的にしたいと思っていた。先ずは地下書斎の書棚一個を階上に運ぶことにするが、本の収容が思うようにいかず、半数の本を処分することにする。処分の基準は著者が河合隼雄、柳田邦雄、村上春樹以外の全てとする。中途半端では一冊づつ考えねばならないための思い切った判断である。ただし、別の書棚にある数百冊の絵本は除外。
bookoffに持ち込み万円単位の臨時収入になる。スッキリした気分と寂しい気分が混然とする。一階の作業場は整然としてきた(写真)。
HPは燻製コーナーに旧然のままのページがあるが、差当たり問題はないため後回しになるか?。でも、先日のビーバー保護者懇談会の席で、更新頻度が高いのが魅力との意見を頂戴したので、頑張らなくちゃ。
ついつい、好天に恵まれ、雨のない畑に心が遷ってしまう。作物はまるで我が子のようなもので、手をかけてしまう。秋大根を植え、発芽するまで、毎日、水を補給する。ポリタンク5個を携えて努力の甲斐が実る。4日目に完全に発芽してくれた。本職のお爺さん曰く、この天気で芽を出させるのが大変なんだ。ご褒美?にトウキビを頂いてしまった。
本日はサニーレタスを初収穫(写真)、歩留まり悪く、反省の多かった野菜です。
収穫期の食べきれない大量の野菜に閉口している。双方の両親、近所も閉口し始めている!!!。
2006年8月8日(火)
はちあわせの日

8月8日、はちあわせは結婚記念日だ。
この数年は姫君の体調が優れなかったこともあり、久しぶりのお出かけとなる。
姫君の希望はレストラン三國、ならば、同じ三國シェフのコーディネートするJRタワー36階にあるSKYJを予約した。テーブルには可愛い熊に抱かれたお祝いのカードが添えられている。ファミレスとは異なる演出がある。記念撮影までして下さった。
このところの暑さで食欲減退気味の姫君は、今夜に限り食欲旺盛。
コース料理を全て平らげる。鹿児島黒和牛のヒレステーキは美味かった。
飲み物はシャンパンフルボトル+料理に併せたワインをいただく。満足じゃ。
食後は南側を見下ろすことのできるバーでカクテルを少々。テレビ塔と同じ高さから見下ろす夜景はメモリアルデーに相応しい輝きだ。
健康に乾杯のひと時であった。

2006年7月30日(日)
収穫の日(その2)
土日農家も3ヵ月が過ぎようとしている。
農業がこれ程楽しいとは思っていなかった。畑にいると、頭の中は空っぽになる。土と作物以外は視野にない。
収穫も楽しい。今日は大根、葉大根、白菜、ピーマン、ししとう、きゅうり、ズッキーニ、エンドウ豆を収穫した。葉大根、白菜、エンドウ豆はもうお終い。
次の楽しみは右画像のかぼちゃ、スイカ、そして、じゃがいもなどだ。
このかぼちゃは職場の同僚が種苗したものを頂いて植えたもの。弦が10m近くも伸び、ごろごろと成長している。これらの成長の裏では、土日のみならず、早朝の草取りが欠かせない。

生育を見る喜びと、食べる喜びがある。新鮮な野菜は格別に美味い。
青虫も味が分かるのか、たくさん同居している。

難点は我が家の消費量を無視して成長してくれること。
その恩恵を享受している人もいる。
2006年7月15日(土)
収穫の日

待ちに待った三連休、ボーイスカウトの活動も今週はお休み。
自由に過ごせる時間がたっぷりとある。一日目は土日農家の収穫と草取り、二日目は四男の学校祭訪問、三日目はラベンダー(富良野)の予定だ。
ただ、このところ姫君の容態が優れないため、三日目は多分中止となるか。
先週の検査で、容態が優れないのはプレドニンの投与量を減らしていることに伴う離断症状の可能性が大とのことなので、暫くの間、様子を見ることになる。
収穫の日!!!
午前中はサクランボを収穫。今年の天候の不順から、量は多いのだが、大きさ・甘さ共に今一である。毎日少しづつ収穫をして食べてはいるのだが、家族の消費量は少ない。
木の葉を食べる虫が居座っているため、早く収穫を終え、虫対策をしなければならない。そのため、日々の消費量をを無視し、残りの実を収穫してしまう。
食べごろの実のみを収穫する。計量すると4kg、取り残しも同量程度はあるが、断念する。自家消費分は冷蔵庫にたっぷりと保存してあるため、収穫分は全て親・知人などに食べていただくことにする。
午後は畑に出動。収穫した野菜は、大根:10本、白菜(山東菜):約10kg、きぬさや(えんどう):スーパの買い物袋に一杯、初収穫のきゅうり:4本、大きくなりすぎたズッキーニ:2本、ホウレン草:少々。大きなダンボール箱3個分である。
これまた、自家消費が全く不可能な量。サクランボ同様にお配りして処分。消費量を無視して育つこの子達にため息だ。

2006年7月2日(日)
備えよ常に

完成した工作キット

分刻みの土日である。
少し、風邪ぎみ、腰痛が併発している。
土曜日は、次週のビーバー達の活動で鳥の巣箱作りに挑戦する。この年代の子ども達の工作に、ノコギリを使用するのは危険である。
そのため、材料をカットし、とんかちだけで巣箱を作れるように、木材を加工する。
原材料は板20枚、蝶番である。これをカットするのだが、予備を含め25個分の作業なのだ。
午前は材料の買出し、午後からは役割分担を決めて作業にかかる。
材料の線引きは葉子副長、丸鋸の扱いは慣れた隊長、糸鋸で穴を開けるのは升家副長、板のとげを取るためのサンダー掛けと蝶番の取り付けは相澤副長。途中で人手が足りず、某団委員を呼び出す。
何とか夕方までには作業完了。アー疲れた。
日曜日は、早起きし、朝5時から畑仕事、ホウレンソウの最初の栽培分は全て収穫。隣の畑で作業中のM田さんをはじめ、数軒の食卓に登場することになる。
遅い朝食を済ませ、10時に「軽川桜並木の会」のKさんに会い、除草工具の点検。
午後は、散髪、再び畑作業、愛娘「petty」のフィラリア検査、ふっと一息をつけたのは午後7時。
近所の「とんでん」で一家そろって夕食をとる。
アー、備えよ常にだ。

2006年6月24日(土)
自然が一杯

姫君は所持する資格更新で、2コマの講習を受講するため、午前中から外出する。闘病後、単独で長時間の外出は初めてだろう。ステロイド剤の投与量は一時の1/6まで減少し、夜間は呼吸補助をしながらの生活ではあるが、回復は著しい。
外出を心配することなく、午前は一週間分の食料買い出し、午後は農作業をする。
先週に引き続き、葉大根の収穫(大量)とホウレン草の間引き分収穫。
間引いたホウレンも立派な大きさ。これでは間引きではなく本収穫であった。
帰宅後、何気なく見上げると、サクランボが色づいている。この色づきでは、来週には収穫となる。
都会の住宅地に居住しているが、まるで自然の中で過ごしているような気になる。

2006年6月17日(土)
初収穫

土日農業は想定していたより労力を要する。
悪天候でない限り、土日は必ず作業のため菜園を訪れる。
本日は午前中に葉だいこんを収穫した。5月の連休明けから農作業を開始し、初めての収穫である。
まだ、青虫が発生していないので、虫に食われた跡もなく、綺麗な菜である。
早速、今夜の食卓にのせる。炒め物にして食べたが、汗して収穫したものは美味い。
ダンボール一箱分を収穫したので、5軒におすそ分け。
午後からは雑草むしり、次から次と草が生えてくる。ほうれん草や人参の草取りは大変だ。草と一緒に大事な作物までむしり取ってしまいそうになる。取った雑草は2斗樽に山盛り。
大変ではあるが、楽しい作業だ。もっと、早くに気がつけば良かった。お年寄り趣味ではないことに気付く。奨めてくれたM田さんに感謝。
現在までに植えたもの。さやえんどう、人参、大根、葉だいこん、ホウレン草、トマト(5種類)、きゅうり、なす、さやいんげん、枝豆、ズッキーニ、ねぎ(2種類)、とうもろこし、じゃがいも(男爵)、ピーマン、ししとう、キャベツ、山東菜、サニーレタス(レッドウェーブ)、かぼちゃ、西瓜・・・。20種類を超えてしまった。

2006年6月13日(火)
明るさは本物か?北海道経済
午後6時から共済ホールで、朝日北海道フォーラムが開催され、職場の仲間3人と出席した。誘い合わせて行ったのではなく、各々が独自に申し込みをしていたのである。
基調講演は高橋はるみ北海道知事、引き続き行われた討論は、ジャーナリストの田原総一郎さんをコーディネータに、パネリストは近藤副知事、きのとや社長の長沼昭夫氏、ニセコのロス・フィンドレー氏、いつもの東大名誉教授・月尾嘉男氏。司会は毎度のHTV・吉田みどりさん。
私は最前列に席を確保した。田原総一郎氏の唾が飛んでこようかの目の前だ。
基調講演で高橋はるみ知事は、経済再建を最大のテーマとして取り組んできた。経済は緩やかな回復み向かってきつつある。今後の活性化のためには食、観光を大事にする。食では地産使用・道外への売り込みを行う(sweetsが売れている)。観光は苦戦、道民が道内に出かけなくなった。
バランスの良い経済構造にしなくてはならない、特に物作りが弱い。道州制にも期待する。
ピンチの後はチャンス、負けるな北海道と締めくくった。
討論の冒頭、田原さんからオーストラリアの勝利に対しフィンドレー氏に対し祝福の言葉。そして高橋知事のピンチの・・・に対し、ピンチは「危機」、危険の後は機会ありと紹介。
各パネラーからの意見で心に残ったことは、長沼氏からの道産の良い素材をそのまま売るのではなく、加工して付加価値を付けることだ。フィンドラー氏からは、北海道の雪は世界一だが、活かされていない。滞在型に耐えうる対応を。
月尾氏も北海道には全国一が沢山あるが活かされていない。など。
最後に会場からの質問に応じる時間があって、高校生の女の子は、北海道は魅力がない、東京に行きたいと訴える。壇上と高校生の議論は面白かった。
また、北海道行政の鈍感さには会場内から度々の失笑があった。
詳細は6/21:朝日新聞に特集が掲載される。  HTBから7/9・2:45から放映予定。


(アスパラクラブから借用)
2006年6月7日(月)
古き良き時代

忘れかけた情熱、感動、 そして喜びをよみがえらせる歌のパワー!!
「ジョージの城」のコピーである。
初めて訪れたのは30年も前になるだろうか。コンガ、マラカスに乗り、繰り広げられたラテン系の曲が思い出される。
このお店、今でも健在なのだ。ジョージ広田さんは、風貌はすっかりお爺ちゃんぽくなってきたが、歌う感性は何時までも若々しい。
←CDアルバムのジャケット表。これは詐欺だ。現在はその下。
歌手「安部里葎子」はこのお店からデビューした。ヒット曲「 愛のきずな」を知っている人は50才台??。

今日はジョージ広田さんにQuizas,Quizas,Quizas(キサス・キサス・キサス)をリクエストした。トリオ・ロス・パンチョスの歌ですがナット・キング・コールでも知られている。日本ではザピーナツが歌った。
LEEさんには「マディソン郡の恋」をリクエスト。LEEさんは函館出身の素敵な女性ボーカリスト。
知人でもあるジョニー黒田とも交友があるという。世の中狭い。
HPもなかなか。
 http://members3.jcom.home.ne.jp/vocal-ree.matsui/ 

広田さんとカラオケ談義
歌はドラマだよね。3分間で如何に演じるか、それが出来ないのならば、人前で歌っちゃいけない。カラオケボックスで歌うべき。同感です。
歌えない、歌わない私にとっては広田さんの言葉は痛くも痒くもない。

2006年5月13日(土)
都会人・土日は農業

「都会人土日は農業」これは、5月6日の朝日新聞夕刊一面トップの見出しである。
都市で働き、休日になると田舎に泊まって農業に励む。そんなライフスタイルを楽しむ人が増えているという。
札幌市は都市ではあるが、気軽に農業を楽しむことができる。
私も、今年から、休日農業を始めることにした。家族からは、齢をとったね、とひやかされる。
同じ町内会に住む、かつての仕事仲間「M田」さんの紹介で、自宅から車で5分程度の場所に農地を借りることができた。
1アール強の狭い畑ではあるが、始めはこの程度で充分であろう。
本日は農業初日である。
ポットで育てた豆の苗(さやえんどう、枝豆)とホームセンタから購入したトマト、ピーマン、長ネギを移植し、さらに人参、大根の種をまく。約3時間の農作業であった。
今後、徐々に増やし、20種類以上の野菜を栽培する予定だ。西瓜、きゅうり、なす、かぼちゃ、ほうれんそう、白菜、かぶ、キャベツ、じゃがいも、とうもろこし、・・・・・。収穫が待ち遠しい。

昨年育てた西瓜(自宅)
2006年4月30日(日)
普通の週末? GW?

ユキタマリンの表紙です

今年のGWは大型連休だ。9連休の方も多いことだろう。
私にとっては、この週末は、ごく普通の、予定が何もない、単なる週末である。でも、永い一日だった。
今日一日を振り返ると
@朝5時に起床し、高校生のお弁当作り。休みの日はゆっくり寝かせてくれとボヤキが出る。
A母の誕生日プレゼントを妻と買いにいく。
 お店の入り口では赤十字社の献血を行っていたので、400mlの献血(36回目)
 店内ではモーツアルト生誕250年を記念して行われた弦楽四重奏の演奏会を聞く。
B午後は絵本「ユキタマリン」原画展(屋中みほ)を見にいく。
 作者の「みほちゃん」は幼いころから知っている。父親とはボーイスカウト活動を一緒にお手伝いした仲で、
 苦労を供にした。また、燻製工房で使用するチップの原料を提供していただいている。
 会場の「ひだまり」は、絵本のみを扱う書店だ。10数年前に西野に開店した当時も訪問したことがある。
 絵本は本当に楽しい。見慣れた絵本がところ狭しと並んでいる。
 「ユキタマリン」は故・杉吉久美子さんが残した雪国のキャラクター「ユキタマリン」を絵本化したものである。
 屋中氏は故・杉吉さんのいとこでもあり、みほちゃんはその遺志を継いだのだろう。

 この絵本は2月に北海道新聞にて多くの紙面を割いて紹介された。また、道銀らいらっくぎゃらりーでの展示
 には多くの方が訪れたと聞く。
 ついでに、「おぼえていろよ、おおきな木」を購入する。長くなるので、この本については改めて紹介したい。
C手稲近郊に大手スーパーの大型店舗がオープンしたので見に行く。
 食べ物、買い物は地域振興のため、できるだけ地場の物を志向しているので、見るだけ。
Dお魚の調達のため、石狩朝市へ行く。朝市とはいえ、午後も遅くの訪れである。
 鰊の干したもの、今朝採れた「かれい」を買い求める。宗八ガレイとオマケの砂ガレイ20匹。
 鰊は夕食の食卓へ。宗八は捌いて干す。これまた、別途ご紹介。
E母へプレゼントを届ける。
 父曰く、私と妻と母とのの会話を聞き、普段、このような弾んだ会話はないんだよな〜。夫より子どもなんだな〜。
 少し寂しそう。  包丁を研ぐ、おまけつき。
F夕食は、鰊と自家製ビールでした。 


展示の模様
2006年4月2日(日)
塩谷の海辺

石狩漁港の朝市に行き、そのまま小樽を越え、塩谷まで足をのばした。
まだまだ透き通る青い色ではないが、広い海を眺めていると心が癒される。
世の中、暗い事件が後を絶たない。偽造カード事件、マンションから子供を放り投げるなど、人の心はどこにいってしまったのだろう。怒り、悲しみ、絶望、彷徨いながら・・・
知人も当事者となってしまった。ある時は机を並べ、一緒に難題に立ち向かった仲であったのに、残念極まりない。
昼食は妻と一緒に、いつもの「北ホテル」でとる。この北ホテルは、かつて火曜サスペンスの「北ホテル」シリーズで知られている。数々の事件が起きるが、そこには切ない事情が隠されている。古谷一行演じるホテル支配人が犯罪者の心を解きながら、事件の解決に向かうお決まりのコースではあるが、人間の温かみを感じさせてくれた。
今日は、録画ビデオを借りてきた。改めて見てみよう。
時間を忘れ、海をボーと見ていると心が洗濯されるようだ。かつて、海釣りをしていた頃、沖合いから海辺を眺めると、魚釣りを忘れて、心が無になっていく体験を思い出した。

沖のゴメちゃんは、皆仲良く消波ブロックに並び、羽を休めていた。

2006年3月15日(水)
岩塩にひかれて

久々の東京出張、3ヵ月振りだろうか。
東京での宿泊は丸1年振りだ。オフィスの近隣にはホテルの空きがなく、東西線の西葛西に宿泊することになる。
お食事の誘いを断り、比較的早くにチェックインを済ませて一人夕食に出かける。
さあ、何をいただこうと思案しながらお店を探す、焼き鳥とか麺類のお店が多い。
美味しそうな焼き鳥の臭いが漂っている。ふっと看板を見ると、ドイツの岩塩・炭は備長炭と書かれている。塩へのこだわりから、フッーと入ってしまった。
まずは、ビールと焼き鳥5本・塩味で・・・鳥はボリューム満点、味もよし、焼き鳥は一本80円也、5本目を食べて、ちょっぴりとアミノ酸系調味料の旨みを感じたのが残念。
コショーの拘りもあるようです。特産のブラックペパーを粗引きで使用していました。
さらに、うどんすき(鶏肉が沢山)と冷酒一本(300ml)、腹8分程度でご馳走さま。
会計は1980円也、晩酌と夕食込みではお安いお値段。このお値段で飲食できる商いの仕組みに感心した。
商売の工夫を感じた夕食でした。
因みに、このお店は全国チェーンのようで、札幌にも出店していることが分かり、近日中に同僚と行ってみよう。


(注)これはイメージであり食べたものとは異なります
2006年3月12日(日)
自足自給

日中はボーイスカウト・ビーバー隊の活動で、昨日から雪中キャンプ中のボーイ隊の活動場所へ行ってきた。
今回はビーバーのためのイグルーを保護者と一緒に作ろうかと思ったが、都合により中止。
ボーイ隊の寝泊りしたイグルーで子供達を遊ばせた。自然の中で過ごすのはとても気持ちがよい。
ほんのりと疲れのある体に対し、夜は自作ビールと生ベーコンでリフレッシュ。
昨年末に仕込んだビールは熟成し飲み頃、先月に仕込んだ黒ビールの出来ばえをチェックするため、両方を飲んだ。
ベーコンは絶品。ほろ酔い++程度で、幸せを感じる。本日も薫製を作成する作業をした。
最高の贅沢ではないだろうか。


(上)本日の薫製作業  ベーコン作成の過程
(下)ビーバースカウト  イグルーの周りで遊ぶスカウト達

2006年3月3日(金)
お雛さま

ふっと、気がつくと、一ヶ月以上も日記をつけていなかった。
想いどおりにいかぬことが多かった2月だったのだろう。
しかし、このサイトを訪れて下さる方の多くが、このdiaryを覗いてくださっている。2月は2000名の訪問者があったが、このコーナを見てサヨウナラの傾向があるのです。
ガンバラナクチャ。
我が家に、今年は「お雛さま」登場です。このお雛さま、実は半世紀前のものです。顔や手は木製なのです。
我が家の姫君は女房殿、犬のpetty嬢のみ、昨年は女房殿が1月から4月まで入院加療のため不在につき、雛壇はなし。
2年ぶりに登場しました。
華やかな「お雛さま」を眺め、幸せを感じる今年の「雛祭り」です。

2006年1月28日(土)
悩みの一週間

先週末に広島の知人から「かき」のプレゼントが届き、殻焼きの準備中に、車庫の片隅に見慣れない物を発見した。
地下の車庫はシャッター部分に断熱材がないため、床は凍りつくほどの低音である。その場所で「かき殻焼き」をするため、予め石油ストーブで暖房したり、炭おこしの作業中に見つけた。
ビニールの袋を開けてみると、鮭の飯寿司が3パック、糠漬け鮭が1本入っている。
家人が、いただき物を寒冷な車庫で保存していると思いきや、誰も心当たりがないとのこと。
贈り主を探すが、分からない。HP上で公開捜査に乗り出すことにした。
BBSには知人から捜査に協力する申し出があり、古畑任三郎氏を派遣してくれるとのこと。
その書き込み見た贈り主から、発見から一週間を経て申し出があり、無事一件落着。
この間、生物であり放置する訳にもいかず、一寸味見をしたところ賞味期限内であることを確認したうえで保存していた。一週間悩んだ末に、本日食卓の登場。安心して胃袋へ。ご馳走さまです。
車庫は外部から手で開けることは出来ない。開閉のリモコンは家の中と車の中であり、まだ謎が残る。一体、何時どのようにして車庫に置かれたのだろうか。
そうか、納得。謎を明かすことは出来ないが、贈り物は昨年末・大晦日に届けられたのであった。

2006年1月9日(月)
除雪にあけくれの三連休

今年の降雪は、全国的に大きな被害をもたらしている。
札幌における、先週までの降雪量は手稲区を除くと平年より少なめに推移していた。
ところが、この数日間は休むことなく降り続け、除雪をしても、降雪とのいたちごっことなる。
降雪には慣れっことはいえ、休息なしの除雪には参ってしまう。土曜日は、朝、日中2回、夜中、更には除雪車の通過後で計5回の作業。
日曜日は朝6時、午前、午後、夜2回、除雪の合い間は疲れて居眠りの繰り返しだ。
とても、運動不足解消なんてな呑気なことを言ってられる状況ではない。腕・背・腰は疲労困ぱい。
一週間前に家の廻りの雪を綺麗に排雪したにもかかわらず、ご覧のありようで、背丈より50cm以上は高く積み上げる。
我が家では、排雪の契約をしているため、毎週、この雪山を運び去ってもらうので、数日後には消え去る、程々にして欲しい。
本日は、午後から、久しぶりに晴れ間が広がり、小休止といったところです。
午後からは骨休めに、姫殿と映画を観に出かける。話題の「男たちの大和」だ。場内は満席、あちこちのお父さん方が眼鏡を外し、すすり泣く様子が覗える。“亡き魂への鎮魂歌”なのだ。
戦争はまだ終わっていない。二度と愚かな繰り返しをしてなならないと思った。

2006年1月1日(日)
家族そろっての新年を迎える

大晦日と新年を迎える日を近郊の温泉で過ごした。
我が家の恒例の過ごし方ではあるが、久々にゆったりとくつろいだ時間を過ごすことができた。
家族全員が揃ったこともあるが、心配事のない?新年となる。
私自身の仕事の都合、家族の健康、子供達の受験・就職の都合が必ず重なってしまうのだが、今年は完璧であった。
ホテルは勿論2部屋を要するのだが、男の子5人と私を加えた男6人が一部屋に集まり、ゴロゴロと横になっていると、圧巻である。よくぞ、ここまで大きくなったものだ。
今年は、目先のことにクヨクヨせず、大きな気持ちで過ごそうと妻と誓い合う。沢山の財産に囲まれた人生なのだから。

2005年12月31日(土)
さようなら 2005年

2005年は、あっという間に過ぎ行こうとしている。
家族、会社、社会との関わりにおいても多くの想いを心に残し、1年の幕を閉じようとしている。
このところ、日差しの少ない日が続くのだが、今日は窓辺に薄日が差し込んでいる。その窓辺にはお正月を迎える飾りができている。
この1年に感謝し、新たな年を迎えることにしよう。

2005年12月25日(日)
今年・最後の週
年末恒例のお餅つきも無事終了した。ボーイスカウト札幌第22団では、毎年暮れになると全員が参加しお餅つきをする。今年も40s、20臼弱のお餅をつき、今年一年の無事に感謝し、1年の締めくくりだ。ついたお餅は丸もち、餡子もちにし、全員でお雑煮を鱈腹食べる。
餅つきの支度、100人分の食事の準備が大変ではあるが、皆で手分けをし、苦労するのも楽しいものだ。
終了後は仲間同士で、ささやかに忘年会を実施、我がスモークサーモンもテーブルに上る。
その仲間からサーモン20本の注文をいただき、早速仕込みに入る。連休後半は骨休めと思いきや、ままならぬ。進行中のベーコン薫製作りと平行作業になり、台所と作業場(地下車庫)との往復だ。
合い間に来年から新たに挑戦するビール製造のための道具を調達するため東急ハンズに出かける。
更に、今夜の食事は私の仕事。何を食べたい?、・・・「鱈のお鍋」。昆布と鰹で出汁をとり、鱈を沢山入れた湯豆腐を作る。お鍋の底には何も残らない程に好評。
夜10時にやっと、ゆったりと、金賞受賞のプレミアムビールを飲みながらPCに向かう。

ふー〜〜。
2005年12月11日(日)
雪が降ると師走の感じ
昨日からの寒気で、札幌にも本格的な冬将軍の到来です。
本日、お昼頃までは強風と降雪。一瞬のうちに冬景色に変身です。
先週までの札幌は、山を除けば雪を見ることができず、とても師走とは思えない風景でしたが、綺麗に雪化粧です。
この週末は年賀状作りに励むことにしました。我が家の分、両親の分、ビーバー達への3種類を、費用をかけずに作成です。
各サイトから、無料でダウンロードできる画像をさがし、気にいったものを見つけるのが大変。何とか夕刻までに作成を完了させる。オリジナル画像は来年の干支の犬に愛犬(petty)の登場のみです。
ン百枚の裏表共に印刷完了。お正月に一歩近づいたか。
2005年12月10日(土)
先月の訪問者の傾向

リニューアルを開始してからの訪問者の傾向を分析してみました。

訪問者 約2000名で、リニューアル(未完ですが)の10月以降は、一割強の増加が見られます。
     10月、11月と連続して最高を記録しました。
訪問者の増加に比べ、データ転送量は二割減となりました。ページの構成を階層化したためアクセスし易くなったことによります。訪問者の負荷が3割減少したことになります。
アクセス時間帯:以前は午後11時台、午後10時台、午前0時台に多く見られていたが、10月以降は夕方から深夜帯にかけて均等になってきました。理由は分かりません。
曜日では、月曜、火曜が多く、とりわけビーバー(カブ)活動日の後は顕著に多くなっています。

人気のページは次の通りです。
 @燻製トップ
 Aボーイスカウトトップ
 B日記
 Cプライベートトップ
 D燻製うんちく
 Eビーバースカウト
 F燻製サーモン
 G美味しいもの
 Hチップについて
 I近郊の様子
 J燻製の道具
 K燻製ロースハム
 L団関係者用
 Mカブスカウト
この数値はwebalizerによってカウントしています。一度カウントした方は30分以内は重複してカウントすることはありません。つまり、出たり入ったりを繰り返してもカウントせず、実際の数値に近い方法となっています))

 不思議なこと:日記はプライベートトップ⇒日記と進むのですが、日記の方が多いのです。
 原因は、お気に入りに登録し、直接アクセスしているからでしょう。
 また、トップページのカウンタに示される数字の約2倍の方がアクセスしています。
 (トップページのカウンタは「80code」という所でカウントして頂いています)
 
 本ホームページには「ミートショップコヤマ」さんが同居していますが、200近いアクセスを記録しました。

2005年12月3日(土)
北海道ビール党忘年会
知人に誘われ、北海道ビール党忘年会に参加した。
北海道ビール党とは手作りのビールを楽しむ人、ビールを飲むのが好きな人たちの集まりとのこと。
知人は、自らが嗜むビールの製造に挑んでいて、本日は100%山葡萄で作った葡萄酒を振舞ってくださった。
幾種類かの手作りビールを試飲させていただいたが、香り、こく、味ともに、日ごろ飲んでいるビールとは違うのである。
永年研鑽され、本物志向であることが分かる。麦芽100%、生きた酵母菌が入っていて、ろ過をせず、火入れもしない、まさに本物の本格的生ビールなのだ。
お料理は会員が持ち寄ったもの、本物シェッフがビールに合うように用意していただいたもの等などが並んでいる。私もスモークサーモンを持ち込んだ。
素晴らしい会であった。好きな物をテーマにした会合であるゆえ、会員同士の会話も楽しい。バラバラな年齢層、サラリーマン、ミュージシャン、ダンサー、芋・玉ねぎを作る農家の方、様々な人たちの集いで、日常とかけ離れた交換の場なのだ。
会員が繰り広げるアトラクションは、プロの舞踊、カントリー、ビール甚句、極めつけは全員でのカントリーダンス。
ボーイスカウト活動、薫製作りに明け暮れる週末の過ごし方にレパートリーが増えることになりそうな予感がする。
終了後、会場の近くで、酔い足りない分を普通のビールで補うが、何とも味気のないビールに感じてしまった。
2005年11月27日(日)
薫製とホームページ

永年お世話になった知人へのプレゼント用の薫製作りに明け暮れの週末だった。
秋刀魚とスモークサーモン、そして完成ま近の鮭トバ風薫製である。
11月も最後の休日、日中の最高気温6℃、最低気温0℃とあらば、生ものの鮮度に気を使わずに済む絶好の薫製日和なのだ。空気も乾いており、乾燥にも持ってこいの好条件。
作業するには寒いが止むを得ない。
途上の製品にもカチッツとした締りがあるように見える。
長時間の燻し作業なので、時折、自室に戻り、ホームページのリニューアル作業を並行して行う。今週は「生ハム」、「スモークサーモン」、「鮭トバ風薫製」のページを更改した。
大阪に在住の次男が帰省し、夜は酒盛りとなる。次男は本サイト・トップページのデザインを担っている。ひと期はホームページ談義に花が咲く。
Photoshopによるレイヤーの使い方、しかし、マニュアルにはどこにも記載されていないのだ。曰く、遊び心をもって粘り強く試しているとたどり着くと言う。初めに抱いたイメージを保ちつつ、遊んでいるうちに到達できるものなのだと。何だか訳の分からないことになってきた。
小さい時からデッサンを勉強し、最年少入選とか、個展を繰り返す、現役の画家もどきからは、即戦力になるノウハウを得ることはできなかった。

ただ、遊び心をもって、ガチャガチャやっているうちに、何かが見つかるのだと言う。子供達を見つめ、ファインダーごしに捉えた絵が良いので、心のあるものができる。納得。

2005年11月21日(月)
功名が辻

高知城

この一ヶ月間に10冊ほどの本を読んだ。
特異的なのは、そのうち7冊が時代小説である。自らが欲して読んだのではなく、たまたま、家の雑誌入れに入っていたものを読んだだけである。受身の読書なのだ。
読んだ時代小説に共通しているのは、昨今のテレビ・映画の題材となっていることと、女性の登場する場面が多いことだ。
「蝉しぐれ」、「義経」、「功名が辻」、本日読み終えたのは「功名が辻」で来年のNHK大河ドラマの題材である。全4巻を、通勤電車(と言っても、一日往復40分+α)と出勤前の30分で、延べ10日間だ。
誰もが知っている山内一豊の妻・千代の物語だ。顛末はほぼ知っているが、読み始めると止まらない。グイグイ引っ張り込まれていく。最後まで好奇心を持たせ続けてくれた。
感想:我が妻が千代がでなくて良かった!、千代が妻であって欲しかった!。分からない。
来年の大河ドラマも欠かさずに見ることになりそう。

2005年11月13日(日)
蝉しぐれ

好評な「蝉しぐれ」を観にいこう。
二人だけで映画を観にいくのは、何時以来だろうか。子供中心の映画鑑賞からの脱却はいいものだ。
小樽マイカルに出かけようとして、ネットで放映時間を調べると、エッ〜もう終わってしまっていた。
くまなく調べてみると、サッポロ・シネマフロンティアで一日2回上映していることが分かった。セーフ。
藤沢周平氏の原作は既に読んでいる。青年期の過ごし方に、共感を覚えている。今は忘れ去られたような純粋でかつ多感な3人の仲間、隣のおふく、親子の関係。時代小説ではあるが、現在にそのまま伝え残して欲しい若く・純粋な感性を感じたものだ。
往々にして、時代小説の映画化は良いとこ取りの展開となり、小説のきめ細やかな描写に期待はずれのことが多い。
この作品は、その思いからすると、期待はずれであった。とても清清しく、映画館を後にすることができたのである。
文四郎、おふく、逸平、与之助を演じる俳優が最高、父・母の生き様も今の社会にそのまま融和させたい気持ちだ。
この映画で涙する人も多いと聞くが、私はちっとも湿っぽい感傷を抱くことなく、爽やかに鑑賞した。
夫婦二人で2000円で鑑賞できることも分かった(年齢制限つき)。
この写真、copyrightのないサイトから拝借したのだが一寸心配。
帰宅後、45回目の義経を見るが、32インチに不満がつのる

2005年11月6日(日)
弁慶の泣き所

義経は今日で44回を数える。
NHK大河ドラマを一度も欠かさずに見るのは20年ぶりのことである。このドラマは「義経」宮尾登美子作品によるものだが、毎日曜の夜はこの番組を中心に時間が経過する。
義経像が司馬遼太郎作品とは全く趣きを異にするのも魅力の一つだろう。
タッキーの義経も良いが、マツケン弁慶も魅力たっぷり。今日は静との別れであるが、このように美化できるのは、まさしく大河ドラマだからこそできるのだろう。
かつて、平泉を2度ほど訪れたことがあるが、もう一度機会があれば、あの蝋人形と比べてみたいものだ。
午後9時から、ベーコンとロースハムの燻煙をk氏と行うことにしている。
ドラマ終了後、慌ててトイレに向かおうとして、暗闇の台所を横断した。ガシャーン、もんどりうって倒れた。食洗器のドアが開いていて、足を取られてしまったのだ。
痛ッ、脛を思い切りぶつけてしまった。息の止まるような痛さ。まさしく、弁慶の泣き所を打ってしまったのだ。
気を取り直して、9時から、寒いとはいえ暖かさの残る半屋外で燻し作業。K氏は始めてのロースハム挑戦。多分美味しいハムができるだろう。
写真は昨日の鮭トバ風燻製を作るための鮭の捌き(4本の鮭からイクラを取り出しているところ)、下は塩漬けを終えた豚ロースを糸巻きしているところです。
日が変わった今でも脛が痛む。やはり、弁慶の泣き所。

2005年11月2日(水)
暖かな秋の日
今日は妻の定期健診の日であり、会社を休ませていただいた。
体調は良好で一安心、薬は一ヶ月分でスーパーの袋に一杯だ。プレドニンの投薬量が減ることを期待していたが今月は見送りとなる。Drも慎重だ。
11月だが、暖かな日だ。先日の手稲山の冠雪も消えている。庭の桜の葉は大半が落葉したが、傍らに咲き残るコスモスに蜂が飛び交っている。季節が晩秋から秋に遡った、不思議な光景だ。
時間があったので、トバ作りの鮭を仕入れに石狩漁港に出向くが、鮭漁は10月で打ち切りとなり水揚げはなかった。仕方がなく一般のお店で物色してみたが、トバ用の安価な鮭は見当たらず、残念ながら断念する。(安価ならば、5〜10本仕入れる思いだった)
漁港(東埠頭)では、のんびりと「ちか」釣りを楽しむ姿が散見された。穏やかな秋の陽を背に受け、時間の経過を忘れてしまいそうな姿に将来の自分が重なってくる。
←「ちか」です。
2005年10月30日(日)
一日パソコンと燻製作り

手稲山が初冠雪とのこと。
一日中、雨が降ったり止んだりの優れない陽気だった。
あいにくの天候であり、山頂が展望できず、初冠雪を眺めることはできなかった。平年より14日遅れ、昨年より7日遅れの初冠雪とのこと。
暖かいにこしたことはないが、これが温暖化の影響とすると深刻な事態だろう。先日の新聞によると、温暖化が進めば、秋の秋刀魚の大きさがシシャモの大きさ程度までしか大きくならないそうだ。
温暖化ではない暖かさであって欲しい。
このような悪天候でも、忙しい一日となる。
散髪、HPの更新(自分のみならず、mmさんのHPのお手伝いをすることになる)、燻製作りの仕込みだ。
新ワインの解禁に合わせ、ロースハムの仕込みを始めた(上)。更にベーコンの仕込み(下)も並行だ。
結果的に、就寝は0時を廻ってしまう。

2005年10月29日(土)
土曜、深夜、雨

13年前の今日は、嬉しくも、期待はずれの期待通りであった。
デミング賞の受審を控え、会社内でリハーサルを行っていた。ある部署の報告(発表)を私が担当していたのだが病院からの呼び出しで急遽駆けつけることになった。今日は、その子の誕生日である。
退院するまで、この子は「シリュウ」くんと呼ばれていた。理由は「星矢」の弟だから。女の子の名前は考えていたのだが・・・、4男の名は「星矢」、かつて、テレビアニメ「聖闘士星矢」が流行っていた。主人公ペガサス星矢の弟分はかっこ良いドラゴン紫龍である。看護婦さんからは、星矢の弟は紫龍であると。紫龍くんは間もなく翔太と改名?する。
今は、末っ子が男の子で良かったと思っている。男らしい、思いやりのある5男だから。
誕生日に食べたいご馳走は何?、美味しいステーキ。例により土曜日は買出しの日であり、行きつけのお店で、美味しお肉を探すが今一、コヤマさんまで出向き美味しいお肉を調達する。ついでに、燻製用のお肉も。明日から、ベーコンとロースハムを作ることにしよう。これはベーコン用に塩・スパイスを仕込んだバラ肉です。
親から、兄から、お爺ちゃんお婆ちゃんから、○ちゃんからプレゼントの5男は満足そう。

2005年10月22日(土)
雨の土曜日

毎週、土曜日の午前は一週間分の食材の買出しに行く。
通常は近郊の卸売りスーパと地場の大手スーパの二箇所から一週間に食べる食材を調達する。
時には銭函の海産物スーパにまで足を延ばす。
最近、この買い物タイムのが雨のことが多い。土曜午前は雨が定番となってしまったのか。かと言って、他の日は晴れるのだが。  肌寒い雨上がりの庭でコスモスが残り少なくなってきた秋を彩ってくれる。
今夜は秋の味を楽しむことにしよう。北海道・東北では鮭のことを秋味とも言う。
  〔アイヌ語「チュクチェプ(=秋食)」の和訳という〕秋、産卵のために川をのぼる鮭の異名だ。
今日は秋味と紅鮭を一本づつ、いくらを1キロ仕入れてきたので、秋味ときのこをたっぷりと入れたみそ味仕立ての石狩鍋を作ることにする。大きな土鍋一杯を作ったが、綺麗に平らげてしまった。
冬を前に(冬眠に入る知床の熊ではないが)、秋の味はこれに限る。

2005年10月15日(土)
泡盛(菊の露)

暖かな秋だ。
でも、夕刻に雪虫を発見した。雪虫を見かけると季節が秋から冬に向かっていることを実感させられる。
この虫を見かけると、初雪の到来を予期してしまう。
ところが、今年はこの暖かさゆえ、季節外れの雪虫と感じてしまう。
そのようなことを感じて外にいると、沖縄に赴任している長男が帰省してきた。
今日から4日間の休暇とのこと。服装は厚手のジャンバーをはおり、まるで冬の北海道に来たような格好だ。帰省するために新たに購入したとのこと。
沖縄は今でも最高気温が30度を超えることが珍しくないという。車から降りるなり「ウ〜っ寒い」。体が南国仕様になってきたのだろう。
やっと、約束の物?を持参してきた。私からのリクエストは沖縄の人が好んで飲む・美味しい泡盛だ。名前が気に入った、「菊の露」という。
夕食を近所の食べ放題バイキングで済ませ、その後ゆっくりと二人で「泡盛・菊の露」を酌み交わす。

2005年9月27日(火)
風邪か

今日は夕方から何とな、くしゃみをしたり、体に倦怠感があったり、風邪ぎみと思える感覚。
早めに帰宅と思ったが、来月・ヒマラヤ登山に行くSさんに遭ってしまう。
お酒を飲みながら、山のこと、自然のこと、木のこと、子供達のこと、話がつきず帰路の電車まで楽しく過ごしてしまった。
日本酒は一寸した風邪を吹き飛ばしてくれるだろう。
帰宅すると、家族そろって、占いの某H木さんと教師の討論の番組に集中している。
教師の受難な時代ではあるが、もっと自信をもって接しても良いのではないかと思う。
ビーバー隊に教育委員会がないのを幸せに思った。自分の思いで教育が出来る。苦労も多いが遣り甲斐はもっと多い。
「木が言っていることが聞こえるかい、聞いてごらん」、耳を付けて木の叫びを聞くこの子達にはのびのびと育って欲しい。ゲンコもはります。

2005年9月19日(月)
燻製の季節なのだが

生憎、中秋の名月を見ることができなかった。
例年、この時期を過ぎると気温が下がり、燻製作りの季節となる。
ところが、本日の最高気温は28度、これでは生ものを屋外で乾燥させることができない。
仕方がなく、道具の点検とチップ作りをする。
猫(?)に齧られた電源コード(本当はシャッターの開閉で潰れた)の取り替え、とチップ作りをする。
一瞬の油断から、ナタで指先を切ってしまう。幸いに一寸した切り傷だけだった。
出血を止め、消毒後、テーピングをして作業再開する。今年の最初のサーモンはこの痛いリンゴのチップを使うことにしよう。

2005年9月18日(日)
嬉しい連休

嬉しい3連休です。
今週はボーイスカウト活動もないので、全て自分の時間です。
初日は久々のゴルフ、会社の部対抗です。個人成績が団体に影響があるため力が入ります。
朝から練習所に行き「備えよ常に」。ところがドッコイ、悲惨な結果に終わりました。
ならば、食べ物に挑戦。翌日、ボタン海老を箱で購入。礼文産の海老です。先々週、先週と続けて刺身で食べましたが、とっても美味しかったので、ドド〜ンと箱ごと購入(4s)。お値段は内緒。
今夜はお腹一杯、海老づくしとしよう。
夕食のメニューはお刺身と海老パスタと決め、海老の皮剥きにかかる。
お刺身用に100匹ほど剥いたころ、携帯が鳴る。海老を持った手のまま、直ぐには出れない。
訃報の連絡であり、直ぐにお通夜に向かうことになった。
作業は中断。・・・・・
今夜は刺身だけとなってしまった。

2005年9月10日(土)
スイカ収穫

ついに収穫です。
2個の実を付けました。そのうち先に花が咲いた方を収穫しました。重量は5キログラム超。
でも、後からの実のほうが大きくて立派なのですが、順番を守ります。
まだ、食べていません。一日じっくりと眺めた後にいただきます。
素人栽培では、収穫しても、中が白かったり(未熟)、熟れすぎたりで食べごろの判断が難しいそうです。
一般的には、実を付けて40日〜45日が食べごろだそうです。
残念ながら、何時受粉させたかを覚えていないので、勘にたよりました。
さあ、明日が楽しみ。

2005年9月3日(土)
明日は最後の集会

ボーイスカウトの年度は9月に始まり、8月末で終了する。
今年の入隊式は例年より1週遅れなので、明日の集会が最後となる。
この一年間可愛いビーバー達と楽しい、疲れる、貴重な経験を積んだ。また沢山のエネルギーを授けてもらった。
上進する子達とは間もなく寂しいお別れとなる。嫁に出す親父の心境とはこのようなものなのだろうか。
ビーバー隊長の辛いところは、送り出すことはできても、自動的に新しいスカウトを迎え入れることが出来ないことだ。毎年、この時期は一方的にカブ隊に上進させ、ビーバーは激減してしまう。最少年齢の隊の宿命。
明日はこの子達と最後の集会になる。芋堀りをして、皆で食べてお別れをしよう。

   「ビバビバビーバー」

昨年の入隊式の後
2005年8月14日(日)
夏休み

今年の札幌は、程よい暑さの、夏らしい日が続く。
久しぶりに、5人の男の子が集結している。沖縄と大阪で暮らす長男次男は、暑いと言っても過ごしやすい故郷北海道にご満悦な様子だ。
本日の食材の買出しは圧巻だった。この量を購入するのは久しぶり、普通の乗用車のトランクでは積みきれない量の食材だ。冷蔵庫2個(合計800リットル)が満杯になる。
この夏休みは飯炊き夫になりきろうか。

2005年8月10日(水)
ついに「20,000」アクセス達成

本日、アクセスカウンターが20,000を突破した。
昨年のお正月にホームページの企画を始め、中途半端ながら公開をし、約20ケ月で達成だ。
毎月1,000名の方にご覧頂いていることになる。有り難いことだ。
手間暇のかかる作業ではあるが、情報は常に新しく保とうと思っている。
ただ、少し残念なのはメッセージボードへの書き込みが少ないことだ。この書き込みによってエネルギーが沸いてくるのだが。
人気の高い(多くご覧いただいた)のは、@ビーバー隊の活動模様、Aこの日記、B近郊・美味しいものとなっている。
全体的にはボーイスカウトが4割、燻製が3割、日記などが3割といったところだが、めったに書かない日記が読まれている。不思議な事象だ。
今日は妻の通院検査のために仕事を休んだ。検査結果は良好で一安心。でも、昨年も夏場は調子が良く、晩秋から悪化したので気を抜く訳にはいかない。
午後からは猫の額の菜園とプランターで栽培している野菜の手入れと収穫。
プランターのナス、トマトが極めて好調。菜園の片隅に植えたスイカがグングン伸びて、猫の額から飛び出し、芝生を占領するありさま。でも育っているスイカを見て切るわけにもいかず。
食べるまでに育つのは何時のことか。

2005年7月18日(月)
風邪か?ダウン寸前

早朝、食事をとり、愛犬の散歩に出かける。
夜半から雨模様のため、空の雲の色を見ながら、10分間の勝負だ。
途中から土砂降りの雨脚となり、着衣はぐしょぐしょ。
夏の雨に当たるのは嫌でない、通勤途上などでスーツが皺になるのは御免だが、Tシャツ・半ズボン姿で濡れるのは心地よさもある。
帰宅後、少々寝不足でもあったので、ベッドで横になった。
2時間も眠ったろうか、眼が覚めると、体が変だ、頭痛、お腹ゴロゴロ、寒気。
熱を測ってみると38.7℃,急に病人の気分になってしまう。
今夜はボーイスカウト大会参加者への説明会ののだが、この体調では資料作成もおぼつかない。何とか仕上げて、説明会を実施した。
会議中、背中がゾクゾク、腕は鳥肌、熱による悪寒か。
それにしても、体がなまったのか、気持ちが萎えたのか。気合を入れなくちゃ。
富良野の編集は断念、明日以降となります。

昨夜、編集した1コマです
2005年7月17日(日)
ラベンダー最高

昨日から富良野ではラベンダーまつりが開催されている。
例年はこの時期を避けて、少し早めに見にいくのだが、先週末は体調に恵まれなかったので、お祭りの真ん中の今日行っててきた。
朝8時過ぎに自宅を出発し、11時には現地到着予定だ。高速〜桂沢湖経由のルートで中富良野・富田ファーム着のつもりが、中富良野に着いてから富田ファームまでの3`に2時間を要してしまった。
幸い、姫の体調も優れ、運転に飽きてしまったが、無事に到着。
苦労して来た甲斐があった。素晴らしいの一言。
時間がなく、美瑛方面まで足を延ばすことは叶わなかったが、中富良野だけでも、心と眼に沢山の栄養を頂いてきました。
近日中に特集を組んで公開することにしよう。皆さんにも美しさをお裾わけ。

2005年7月10日(日)
季節はずれの風邪?

今週は予定なし、天候次第で富良野のラベンダーを、この眼で、ゆっくりと味わおう?と思ってました。
生憎、天候がすぐれないから先延ばし。
本当は、ハックショーン、クシュンの繰り返し。どうやら非流行性、単なる風邪に冒されたような感じです。
金曜夜から、ボーイスカウト機関紙「すかうと」の編集で、夜半までY本さんとメール・電話での編集会議、当方の不機嫌さを分からぬY本さんはご苦労だったことでしょう。
土曜の夜半でも完成せず、日曜明け方に完成版が送られてくる。
Y本さん、不機嫌でごめんなさい。
その後、一日いっぱい横になっていました。縦になったのは、明日まで待てない完熟のサクランボを採取した夕方の一時間、義経を見ていた45分間だけでした。

最後の収穫です
2005年7月7日(木)
フーッ

今日は七夕さま、でも北海道は一ヶ月後です。
生憎、この数日は蝦夷梅雨で肌寒くじめじめした日が続く。不快な陽気だが畑の作物、草木にとっては嬉しいお湿りだろう。
事情により、早朝4時半起床で睡眠不足気味。
事件発生、車庫にあるスモーカには2個の電熱器があり、そのコードがズタズタに引きちぎられていた。何者かによる仕業だ。本当に腹立たしい。
誰の仕業か目星はついているので、仕返しを覚悟しておくとよい。ニャン。
我が家のラベンダーは丁度見ごろになってきた。近所の公園も満開。
そろそろ、富良野のラベンダーが見ごろと思われるので、今週末か来週には満喫したいと思う。その様子はこのサイトで紹介しますので、期待してください

2005年6月12日(日)
久しぶりの日記!!

「蛍のひかり・夢あそび」をテーマとした作品展に行ってきた。
燻製仲間でもあり友人の屋中氏と奥様からのお誘いです。
屋中ご夫妻の作品に加え植田莫氏、安藤豊氏のコラボレーションである蛍をモチーフとした斬新な企てだった。
発行ダイオードを使い、あたかも絵の中で、止まり木にまどろむ、蛍が光を発しているのだ。
また、この二人は結婚を来週に控えたご子息(T君)とお嫁さんをモチーフにした奥さんの作品だ。一見してT君と分かる。T君は15年程前からボーイスカウト仲間でもあった。
若い二人を見る眼に溢れんばかりの愛情を感じる。T君お幸せに。
いつも、このサイトに登場してくださるmmさんと作者はいとこ同士。mmさんは、先日、愛息を病にて喪った。永い闘病の過程で「念ずれば花開く」と励ましあっていたのだが、無常だ。命は有限だが早すぎる。
帰宅途中に大通り公園に立ち寄った。ヨサコイの最終日でもあり、エネルギーに満ち溢れていた。

2005年5月21日(土)
お花見とお寿司

暖かな日だった。
週末の休日に全く予定のないのは久しぶりだ。今日は暖かな五月晴れなので二人で郊外にでかけることにした。
知人から桜の穴場と教わった戸田記念墓地公園にお花見に行き、望来でお寿司を食べる思惑で出かけた。
桜は満開で最高。昨年、一昨年も訪れたが、満開の桜を見られなかった。
写真は太い桜の木の胴体から直接花が咲いていて、とても愛らしい。
厚田漁港に向かう。燻製を販売している「あつた燻製」の平賀さんに「サラミ」を届けるためだ。平賀さんには、魚の温薫のご指導をいただいている。
平賀さんはいなかった。商品が完売したので早々に引き上げたそうだ。

仕方がなく、自宅を訪問し届けることにする。最近、マスコミ受けで、某TVに出演したり、新聞にも登場している。更に5/24にはHTVの「いちおしTV」から特集が放映されるそうだ。手作り燻製の底辺が広がっているのだろう。
長居をし、帰宅途中にシーズン限定営業のお寿司屋さんに寄る。満員で待ち時間が長いため、断念し、石狩で食べようと思う。石狩(旧市街?)にお寿司屋さんを見つけることができなかった。番屋の湯の食堂で鮭の入ったラーメンを食べることになる。
本日の目論見達成できず。でも、いい一日だった。いしかり砂丘の風資料館を新たに発見。ボランティアの方の説明もよし。

2005年5月1日(日)
日ハム勝利

今年のGWは超大型、通せば10連休となる。
仕事柄、お正月、GWとは縁遠かったのだが、幸いにも近年はカレンダーが私の休日を決めてくれる。
今日はGW前半最終日、末っ子と連れ立って、我が日本ハムの応援に出かけた。元来YGファン(長嶋ファン)で、若き頃は後楽園(ドームに非ず)に頻繁に足を運んだものだ、長嶋444号も見た。
ところが、今は日ハムonly。フレーフレー小笠原。
楽しい試合だった。結果は5-1だが、外野守備が勝利を誘い込んだのだ。
溜飲、ビール3杯。

反省:眼鏡は最強を持参しよう。悲しいかな、中近では打球を追いかけるに無理がある。次回は遠近にしよう。
遠近、中近、近近、裸眼それぞれの使い分けが必要な眼にご立腹。


2005年4月30日(土)
新蕗

この「蕗」は、先ごろ80歳になった父が、近郊の野から採取してきたものだ。まだ数センチしか伸びていない中から選んで採取してきたそうだ。
僅かの収穫からのおすそ分けである。食べやすいように、湯がいて、皮をむいてから持参してくれた。80歳を超えても野に季節を求める健康が嬉しい。
妻は三ヶ月の入院生活から帰還し、病も小康を保っている。入院中は毎日欠かすことなく見舞った。その間、同じ病室で闘病している多くの患者さんに出会った。道北のOさんは余命一ヶ月を宣告され、残された時間を大切に家族と共にしたい、しかし、疼痛のコントロールができず大学病院に委ねることになる。一日でも早く家に戻りたいと願うなか、色々な話をした。毎日の食事に蕗が並ぶ、美味しいよ、春の新蕗が食べれたら良いねとも。Oさんは一週間後に疼痛を克服して退院した。
40日間の短い時間ではあったが家族と共に過ごすOさんの一番の思いはかなった。新蕗への思いは妻と私がかなえます。Oさん安らかに。

2005年4月10日(日)
一息

新年度の忙しく気ぜわしいのも一段落か。
本日、ボーイスカウト札幌22団の年次総会が無事終了した。
気持ちを新たに(?)17年度の活動をスタートさせよう。
それにしても慌ただしい年度末〜年度初めだった。息子の卒業、入学式が2件づつ、自らの退職/再就職、妻の闘病生活、何と言っても毎日欠かすことなく入院先の病院へ通ったことが心身共に負担だった。この世に代替できる人がいないのだから。
明日から、ごく普通の生活に戻るが、もの足りなく感じるのではないだろうか。でも、明日から新たに加わる仕事がある、息子のお弁当作りだ。食事の支度はお手のものだが、お弁当作りはどんなものか?
この間にサポートしてくださった方々に恩返しをしなくては。後藤新平さんの言葉を思い出してしまった。


2005年4月9日(土)
本当に春だ

明日はボーイスカウト札幌22団の年次総会だ。
議事進行の段取りの再確認、挨拶原稿の作成など、委員と連絡を取りながらあわただしい一日となる。
例年、この総会を乗り切ると心の内に春を感じる。
その合間に、製造中の生ハムをスライスをして頂きに知人の工場をに出向く。
一日にトンの単位でお肉を捌くだけあって、スライサーも素晴らしい。自分で包丁によりスライスするとバラバラの厚さになるのだが、さすがに本業のスライサーはすごい。
包丁捌きに自信はあるのだが、お肉、とりわけ、生ハムを均等にスライスするのは足元にも及ばない。魚の刺身なら負けないのだが。
厚さを1mmでスライスして頂いた。市販の生ハムは薄くて食感がないが、1mmだと丁度よい。
添加物のない、本来の肉の旨みを塩とスパイスで引き出した手作りならではの旨さだ。
ま、80点の出来だろう。
本日の最高気温は3℃、まだまだポッカポカの春には程遠いが、我が家は春だ。
姫殿が80日ぶりに戻ってきた。父子家庭は終わった。

2005年4月7日(木)
さあ、春だ

遅かった雪解けも急ピッチで進み、庭のクロッカスは今にも開花しそうになってきた。芝生の残雪もすっかり消え、今か今かと待ち望んだ春が目の前だ。
北国の春はゆっくりと、来ては戻り、戻っては進むので、待ち望む春と言うにふさわしい。
今日は、末っ子の入学式で、父子家庭の我が家は父親が式に臨むことになる。近頃の学校の入学式は保護者が殆ど全員参加、両親参加も珍しくはない。
3月末に会社を退職し、再就職した身で、すぐに休みを頂くのは気が引けたが、そうも言ってられない。終了後、学校から病院へ直行し、学生服姿を見せる。
父子家庭は明日で終焉となる。さあ、春だ。
明後日は旨そうな生ハムとワインだ。

 4/7 23:00
2005年3月29日(火)
正夢

「時の過ぎ行くままに」といった詩があった。今は聞く機会がなくなったが好きなシャンソンである。過ぎ去った時を向かっていくいく時と、過ぎ去っていく時が交じり合う.
大切な時、失う時、迎える時が混ざり合い、グルグル渦巻く[時]がそこにある。
昨夜は、そのようなことを考えながら眠りについた。
今朝、目を覚ましたのは出張先の東京のホテル。普段の寝不足を補えるように早く就寝した。
明け方、躍り上がるような嬉しい夢をみた。札幌に戻り、それが正夢と分かる。
東京は桜の開花日を過ぎたが、桜の開花を確かめられなかった。
どっこい、我が家には雪の合間から暖かな春が訪れようとしている。
クロッカス、水仙、チューリップ、福寿草が競い合い、春を宣言している。妻が家に戻る日と開花を競うようだ。

3/29 23:00
2005年3月18日(金)
卒業シーズン

3月も中旬を過ぎ、我が家は卒業ラッシュだ。
先陣をきって、15日は四男が中学卒業、17日は五男が小学卒業だった。
今はなき某銀行の3次オンライン開始に向けた徹夜作業を終えて帰宅し、休む間もなく病院へ駆けつけ、平成元年の子供の日に誕生し、妻より先に抱いた子がいつの間にか中学を終えた。
翌日は高校の合格発表を控えての卒業式(正しくは卒業証書授与式)であった。ごくせんのような派手な演出はないが、厳粛な式典であった。
蛍の光・仰げば尊しといった伝統的な歌は姿を消し、今は「旅立ちの日に」変わっている。
式典が終了し、担任の先生から、帰宅後に親に感謝を伝えるようにとの話があったが、我が家では、未だかつて、それを実行した子はいない。
翌々日は小学校の卒業式。20年にも及ぶ長い、この小学校とのお付き合いは終焉だ。
かつてはマンモス校だったが、今年の卒業生は僅か44名。少ない人数だからこそできる趣向が凝らされている。一人ひとりが未来の抱負を語り、在校生は「自分たちの夢に向かって・希望に向かって大きくはばたいてください」と激励する。
なんと、ここでも「旅立ちの日に」だ。いい歌だ。、

 白い光りの中に 山なみは萌えて      
 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
・・・

高校受験も志望のN高に合格。
後は私の卒業式を残す。
 

2005年3月13日(日)
お昼寝

昨日から、一時ではあるが、妻が家にいる。
明日は病院に戻るのだが、一時とはいえ、食事以外は横になったままではあるが、存在感を感じる。
人間の家族は事情を理解しているのだが、末娘のpettyは久しぶりに会ったご主人に面食らって尻尾が千切れんばかりに嬉しがっている。
私の休日はスケジュールが詰まってはいるが、毎日の病院通いがない分、時間に余裕がある。
長椅子に横になっていると、いつの間にかぐっすりと眠ってしまった。その間に両親が訪れたそうだが、居間のソファで二人ともに眠っていたので声を掛けずに帰ったそうだ。
いつ以来のお昼寝だろうか、思い出せない。幾度か眼を覚ますのだが、傍らですやすや眠っている姿を見ては眠る繰り返しだった。心地よいお昼寝だ。
次男が4男の合格祈願と妻の回復を祈願して住吉大社(写真)に祈願に行ってきたとの写真入りメールが届く。
今週は、中学卒業式、高校の発表、小学卒業式がある。何時もはお任せだったが、今回は私の番。

2005年3月6日(日)
久々の手稲燻製工房

昨年末からご無沙汰の手稲燻製工房の復活だ。
とっても美味しかったロースハム以来の本格的作業を始めた。
燻製作りにかけては、北海道の寒冷地を最大限に利用できるメリットがある。
もっと早くから着手すれば良かったのだが、如何せん状況がままならぬ。でも、ボーっとしていると寒さを活用して造る製品が、春の訪れとともに不可能になってしまう。
ラストチャンス。昨日から造り始めたのは生ハムとサラミ。特に、サラミに対する思い込みが強く、何としても旨いのを作ってみたい。
昨日から、大変な作業を行い、夕刻に仕込みを終えた。まるで、家がお肉屋さんのよう。
詳細は追って公開することにしよう。生ハムは5.5キロ、サラミは7キロの肉を使用した。
完成は数ヶ月後、旨いものができるかどうか。
とりあえず、仕込みが完了でホッ。
(上はサラミを腸詰めにしたもの、下は生ハムの仕込み)。

2005年3月2日(水)
雛人形は箱の中

今年の我が家の雛人形は、ひっそりと箱の中でお休み中。
半世紀ほど前のお雛さまです。
顔や手は木製、精巧な造りで、プラスチック製で型にはめて作られたものとは一味も二味も違う趣きのあるものです。衣装も色あせることなく煌びやかなお雛様ですが、今年は主不在のため、初めて箱の中でお休みです。
左記のお雛様は別人です。

男ばかりの我が家で唯一の姫は妻だけ。その姫は闘病中で不在。寂しい限りの雛祭りを迎えます。
主の病状は硬直状態ながらも少しづつ良化の兆しが見られ、年度内に何とか自宅療養への希望を募らせている。出来ることなら四男、五男の卒業式・入学式を見せたいものだ。明日は高校の入学試験、朝からお弁当作りに励もうか。余裕のない日々を過ごしており、日記を書くのも久しぶりだ。しかし、わが身の出来事はてんこ盛り。そのうち、ゆっくりと回顧してみようかな。

2005年2月3日(木)
お祭り気分!!

ボーイスカウト札幌第22団ベンチャー隊が今年も雪祭りの雪像作りに挑戦している。
何時もは難しそうな年頃に感じる子供達(とは言っても高校生年代)が、目標に向かって共同作業をする姿が輝いている。
この寒い中、力を合わせて一つに向かう姿がキラキラだ。雪ののごとく真っ白な若者達だ。
今日も、妻を見舞ったあとに、寒さを和らげるため、温かな肉まん・あんまんを差し入れて激励に寄った。
寒いけど、ガンバレよ・・・饅頭を頬張りながら、ありがとうと応えてくれるのが、シバレル夜半に暖かみを醸しだす。
いい子達だ。来週から始まる雪祭り、この雪像の前を100万人の人達が通過する、小さな像ではあるが、一つ一つにそれぞれの想いが込められている。足を止めて見ていただきたい。

2005年1月24日(月)
そんな!!

ビーバーの集会が一週間遅れで22日に「新年会」を行った。当初予定の15日にボーイ隊のS太にお手伝いを依頼したのだが、仲間のN君も誘うとのこと。
何かにつけ、一緒に行動したい年頃でもあり、仲間と連れ立って手伝おうかと言うS太君と仲間達の心意気を誇らしく、嬉しく感じていた。
ビーバーの活動が都合により1週延期になり、改めてS太君に手伝いを依頼すると、拒否されてしまった。N君は行けない、誘う訳にいかないと強情に拒否された。
当初の集会時にN君はお母さんの死に直面していたことが昨日分かった。

N君のお母さんは亡くなっていた。
N君のお母さんとは就学の頃からご一緒させて頂いていた。仲の良い子供達の保護者として、楽しいことを沢山分け合ってきた。一緒に山に登り、フーフーハーハー言いながら、私は丈夫ではないので、と言いながら最後までご一緒させて頂いた。
「体が弱いのよ」と言いながらも、一緒に元気を分け合ってきたN君のお母さんが亡くなったのだ。
数ヶ月前、買い物の途中で出会い、長々と立ち話をするなか、自らの体調の不調を訴えながらも、妻の体調を気遣って下さった。

一昨年、我が妻が闘病中に、自分のことのように心配し、励まして下さったN君のお母さんが亡き人とは。信じられない。
合掌、安らかにお眠り下さい。

2005年1月19日(水)
なぜ病院と仲良しになるのだろう

体は元気!!
一転して、身も心も元気なし!!
今年の手稲神社のおみくじでは「末吉」、病は良くなるとのことだった。
年末から妻の体調に一抹の不安を抱きつつ、新たな年を迎えた。新しい年は温泉にて過ごすことにする。何も家事をせず、ゆったりとしたかったからである。
妻の今年初の定期毎月検診で、Drに対し、私から妻の体調の不安を訴える。しかし、当の本人は変わりありませんと言う。
しゃれではないが、病院の前日は必ず美容院へ行き、容姿を整え、元気な姿を見せようと努力するのだ。
Drは私の言い分を聞き入れてくれ、ベッドが空き次第、検査入院をすることになった。妻は一泊2日もしくはもう一泊のつもりでいる。
検査の結果、本来の病の悪化は認められなかったものの、放置すれば呼吸停止に至る重症であることが判明した。
軽装で臨む妻に対し、本格入院の準備を勧める訳にもいかず、望みとおりの2泊の荷物で入院することとした。
現在、残念ながら先の見通し不明、状態を把握する段階で治療の方針も見えていない。
妻の検診日と同時に私自身の人間ドッグを受診した。
妻の病院とは道一本隔てた、ジャンプすれば届く距離の病院でだ。
これは前回の日記に記した。その検査結果報告を先日いただいた。
報告書の一部に大変気になる記載がある。○○に腫瘤の疑いあり。ガ〜ン。
さあ〜どうしよう。来週の検査待ちだ。まな板の鯉か。そうもいくまい。

2005年1月7日(金)
体は元気!!

6日、7日にかけて人間ドックを受診した。数年振りのドックであり、幾つかの不安要素をチェックしていただく。
この時世であり、身に心に多くのストレスを受けている。
健康が取り柄の我が心身ではあったが、一昨年に尿管結石でダウン。即入院を勧められるも、多忙な時期でもあり、痛み止めを飲み、座薬を使い我慢を重ねていたが、腎盂炎に至り完全にダウンしてしまった。初めての手術を経験した。
入院中に見舞ってくれた先輩から、キーさんは鉄人28号と思っていたが、病気になることもあるんだな。
以来、結石で幾度かT医院のお世話になっている。
しかし、齢を重ねるにつれ、元気ピンピンではなくなっていく。
検査ではほぼ異常なしと思われたが、Drからの説明で、いきなり二つの制約を言い渡された。「禁煙」、「減酒」。
そりゃ、俺だって解っているのさ。でもネ。
幾つかの不安要素はクリアした。
体力測定では、日常、子供達と接していることが多いので年齢よりは若い体力を維持しているようだ。
さあ、元気に行動するぞ。

2004年12月25日(土)
楽しみなXmas

Xmasイブ、仕事を早めに片付けメリーXmas。
サンタさんのプレゼント待っている家族のいる幸せを感じる。理屈ではなく、この日を楽しみにしている人がいることを幸せに思う。
小6、中3、大1の子をはじめ、楽しく食事をし、サンタさんからのプレゼントをいただく、この日の存在がいい。
この日はメルヘンの世界にしたれる、子供も大人も幸せをプレゼントされる。
仏様、神様、キリスト様を自分の状況に応じて受け入れる(?)我が家族は幸せなのか、はたまた無神経なのか。
日常、仏教を心の支えにしようと思うことが多いのだが、いい加減な信仰心ゆえ、楽しいことには迎合してしまう。ごく普通の日本人なのだろう。
近所で、12月になると、庭に、ベランダに鮮やかなデコレーションで彩る家庭が増えてきた。Xmasの装飾あり、電飾の雪だるまありで、真っ白な北国だからこそ。

2004年12月19日(日)
今年も残すところ2週間か

師走と思いきや、あっという間に残り2週間を切ってしまった。
日々の経過を早く感じるのは何故だろうか。
昨日はボーイスカウトのお餅つきを行った。毎年の行事とはいえ、周到な準備を重ね、40Kのお米を6時間かけて、20臼ほどの美味しい餅に仕上げた。
私もその内の1臼をついたが、結構しんどい。つきあげるのは僅か5分程度だが、最後には息切れだ。あいどりはスカウトの父、生家が餅屋さんでプロの腕前だ。
夕食は、この餅をお雑煮にする。これが、極めて美味い。子供達(スカウト)は何杯もお替りをしていた。
夕食時に団委員長からの言葉として、初代総長だった後藤新平さんの「人のお世話をするやう、人のお世話にならぬやう、そしてむくいを求めず」を10年振りに引用した。なかなか実践はできないが好きな言葉である。この言葉を記したのれんは今でも息子の部屋にある。
前日から準備を始め、夕方には約100名分のお雑煮が出来上がる。改善を重ね、我が団の伝統レシピとして引き継がれている。この作業をこなすのは団委員と保護者だが、後片付けを終える頃には口数も少なく、疲れの様子。本当にお疲れさまです。
夜半からは、リーダー、久しぶりに駆けつけてくれた社会人スカウト達とささやかな忘年会だ。時の経つのを忘れ、話に花が咲く。
早起きの朝は仄かに体が火照る。

2004年12月11日(土)
9回裏逆転?
暮れの忙しい中、スカウト紙12月号を発行した。編集・発行を担当された方のご苦労に感謝する。
各隊持回りで、今回はビーバー特集である。ビーバースカウト、保護者、副長、隊長に原稿の執筆を依頼した。指導者が共通して訴えているのは、ビーバースカウトが増えたことに対するやり甲斐と喜び、期待に応えるための苦労の多さだ。我が団の伝統か?ワイルドな活動が多い故、どうしても指導者に負荷がかかってしまう。
各指導者は決意を新たに前進の意気込みを訴えていた。
一昨日開催された、地区のラウンドテーブル後の忘年会で、各隊のビーバー隊長と話す機会を得、日常の活動内容を比較してみた。やはり、我がビーバー隊の活動はワイルドなのだ。
冬の間、どうやってワイルドなプログラムを組むか思案中。
本日の集会中に、さあ、ビーバーの年明け新年会は何をしようかと7010副長に話しかけたが、乗りが悪い。荷が重いのかと思いきや、「実は年明けに名古屋に転勤することになりました」とのこと。ガーン。片腕を引きちぎられる思いだ。サラリーマン故、避けられない出来事ではあるが痛い。
私にとって、この一年間、妻の病が小康を保っていること、ビーバー隊の躍進を除けば良い年ではなかった。
ビーバー隊躍進の原動力・7010副長の穴を埋めることが緊急の課題であり、7010副長の努力への報いでもある。後は任しとき〜と送り出したい。
♪♪ブタが道を♪ブーブー♪歩いていると♪ブーブー♪はもう聞けない。
昨年、7010一家には千羽鶴を頂いた。私にとって、今年の良い部分は7010がらみだったのか。
2004年12月7日(火)
真冬と思いきや

6日朝:庭の様子

週末は大荒れだった。札幌の降雪は50cmにもなろう程の大雪だ。
師走になっても暖かな日が続き、ホワイトイルミネーションならず、例年は11月中にオープンする手稲山のスキー場にも雪がない。そんなところへ、まるで、辻褄でも合わせるように一気にドカ雪となる。
月曜〜火曜にかけ、仕事で北紋地方に出かけたが、丘珠からの便は何とか飛んでくれた。
雪の少ない北見地方もドカ雪で月曜日の午前中は地元の人たちも除雪でクタクタの様子。留辺蘂町は新記録となる66cmであった。
現地でレンタカーを借り、幾つかの町を駆け巡ったが、道路は圧雪でテカテカ、今年初めての雪道とあって、ノロノロ運転が続く。深夜には釧路沖地震でドキッ。
翌7日は暖冬に逆戻りとなる。
面白い現象に出くわすことができた。遠軽から上川へ抜ける際に通過した浮島トンネルでのこと。トンネルの入り口までは雨が降り、道路の雪は解けてなくなっている、トンネルを抜けると一転して猛吹雪となる。前方車両のテールランプを頼りに運転する始末。山の裏表でこれ程違うとは。
一番安価な車両を予約しておいたが、生憎、その車両に空きがなく、料金は据え置きで7人乗りの4WD車を使わせて頂いた。この荒天故、マツダレンタカーに感謝。
上川から旭川の間は雨天。ホワイトアローに乗り換えホッとして帰路につく。
自宅について、ビックリ。雪が解けてしまい、暖冬になっている。日曜日夜中から月曜朝にかけて除雪した苦労は徒労だったのか!!!

2004年11月23日(火)
美味しかった

11月18日のボジョレーヌーボと共にいただくように仕込んだ、ロースハムとスモークサーモン。かみふらの地養豚ロースを10kgとトラウトサーモンを10kg、計20kgの燻製作りだ。
最近、サーモンに関しては全く製品のむらが無くなった。何時でも同じ味に仕上がるし、満足のいく品質だと思っている。今回のロースは緊張して作業にかかった。
失敗すれば、高価な肉がパーになるだけではなく、期待を寄せて下さっている仲間を裏切ってしまうからだ。肉の旨みを十分に引き出すため10日間の塩漬けをした。均等に塩分が浸透するよう毎日気を使った。最終工程のボイルは眼が離せない。温度管理、最深部への熱の伝わり具合、中心部が62℃に達するまでの間、期待と緊張が続く。
沢山の方に食べて頂いたが、思いのほか好評であった。

我が家の食卓より
2004年11月15日(月)
冬はすぐ近くまで

土曜の明けがたに降ったのか、手稲山が雪化粧をしていた。
山頂の方は冬そのものだが、手前側は未だ秋だと言いたげにいる。
13日(土)寝室の窓から外を眺めると、予報では荒天だが、鮮やかな青い空を背景に白い手稲山が浮かんでいる。朝食後、カメラに収めようと外を見ると山頂は雲の中。半袖の制服を着てビーバーの活動へ行く。人々の服装は既に冬支度。やせ我慢も限界。腕には鳥肌が。
翌日曜に手稲山を捉えた。この姿は我がサイトのトップページのシンボルだったのだ。再び、この山の美しさを掲載したいと思う

手稲山山頂
2004年11月6日(土)
木の葉が舞い散る日

我が家の木もだんだん裸になっていく。既に桜の木の葉は落葉し、今日はサクランボ、むくげの葉が見る見る間に落ちていく。秋も深まり、春から葉に蓄えた今年の収穫を木に吸収し、一年間の役割を終えていく。
風に枝が揺れ、揺れた枝から一枚一枚と葉が離れていく。毎年変わることなく繰り返えされる出来事ではあるが、じっと見ていると趣きがある。単純に繰り返されるこの風情がいい。それを感じる齢なのか。
人は、その繰り返しを楽しみながらも、決して周期による繰り返しはない。散ってしまえば終わり。小さな繰り返しの中から何かを捜し続ける。
今日は久しぶりにmmさんに会った。近頃元気がなく、気に留めていたが、話をしていて、まだまだ眼に若々しい輝きがあり元気になれると思い、少し安堵する。
我が家の姫の体調もあまり優れず、気をもむことが多いが、夕食に腕を奮って作ったねぎとろを美味しそうに平らげたのを見て一安心。近頃、安価なバチとかキハダばっかり食べていたがホンマはやっぱり旨い。中落ち、ハラスを沢山買って、手間はかかるがここ調理してを食べるのが最高。5男はご飯4膳。
夜はボーイスカウトの団委員さんからのオーダーのスモークサーモン製造にとりかかる。
初めて10キログラム(28本)の大量生産だ。晩酌もほろ酔い程度に作業を開始する。更に冷蔵庫にはロースハム用のお肉が10キロ熟成中。期待されると腕がしなる。折れなきゃいいが。

10キロのサーモンです
2004年10月31日(日)
小春日和??

冬将軍第一号が去った後の今週末の穏やかな天候は小春日和といったところか。尤も、小春日和とは晩秋から初冬にかけての晴れた日のことであり、一寸意味が違うかも知れないが、この暖かさは心地よい。
土曜日は朝からビーバーの活動で、つどーむに出かけた。お昼はこの陽気を堪能したくて外で食べることにする。制服は半袖だが寒さを感じない陽気だ。恐らく、今日がこの半袖姿で屋外で過ごす最後の日だろう。子供たちも今年最後の太陽の暖かさを満喫したく、芝生の上をゴロゴロし、恵みを全身で受け止めている。小さな子供たちに与えてあげられる最高の贈り物ではないだろうか。頭の中を真っ白にしてあげられるのは、このような瞬間のような気がする。
夜は、ロースハム作りの作業開始だ。でっかなロース2本を台所に置くと、気が引き締まる。ここまでやると、こじんまりとした趣味を超えているような錯覚に陥る。
日曜日は最後の学習発表会(私のころは学芸会)。数え切れないほど見てきたこの行事も今年が見納めとなる。来春には末っ子が小学卒業だ。この齢まで、この回数を小学校とお付き合いをする人も少ないだろう。
演技終了後、舞台に近寄りカメラを構え、○太と呼ぶと、皆してカメラに向かってニコッ。帰宅後開口一番、お父さん写真を撮るのは良いけど、名前を呼ばないでネ、なまら恥ずかしかった。ま、来年からはないからいいか。
親の気持ちを分かっていったのだろう。

2004年10月28日(木)
自然災害が多い年

今年は台風の当たり年、更には新潟の地震と自然災害が多い。
被災地の皆様にお見舞いを申し上げます。
できるなら、駆けつけて何らかのお手伝いをしたい気にかられてます。「ゆうたちゃん」救出に一筋の光でしょうか。
寒くなっているので心配です。
希望をもって耐えて頂くことを祈ります。
昨年の秋、札幌でも大きな揺れを感じる地震があった。吹き抜けから下がる照明器具が壁にぶつかりそうな揺れだったが、多分震度4とか5弱ではなかったろうか。当時、妻は入院中で人工呼吸器によって生命を維持する状況にあり、心配で病院のドアが開くの待って駆けつけたのを思い出す。私地震も、私の転機ともなった昭和43年の十勝沖地震、大きな被害をもたらした伊豆の直下型地震などをを体験しているので、その恐怖から抜け出すのは大変なことだと思います。一日も早く普段の生活に戻られることを祈るばかりです。

2004年10月3日(日)
多忙な秋の休日

札幌はすっかり秋めいてきた。そろそろ暖房が恋しくなるような朝晩である。
寒くなってくると燻製作りに心が動く。昨日購入した鮭(丸ごと1匹)の半身を使い、鮭とば風の燻製を作って見よう。昨日中に、下ごしらえ、塩漬けを済ませ、夜間の寒さを活かし車庫の中で乾燥作業に入っている。
本日は朝から、作業スケジュールが必要な程の過密な動きをしなければならない。起床後、乾燥中の鮭をチェックし、車庫のシャッターにぶら下げる。上々の乾き具合だ。
朝食後、ボーイスカウトの活動の支度をし、出かける。本日のビーバーは珍しくが2名欠席のため6名とやや淋しい。
10時〜昼までの2時間、地下鉄琴似駅周辺で「赤い羽根の共同募金」活動だ。隊長にとって、この種の活動は準備等の心配が無いだけ楽である。反面、充実感は薄い。
気温が上がらず、ビーバー達にとっては少々辛い活動だったかも知れない。おしっことか寒さを訴える子もちらほら。私も半そでの制服を着用しているため、腕に鳥肌が、きっとビーバーは内心では早く終わりたいと思っていたのかも知れない。
本日は、普段、余りお目にかかることの無いこうちゃんパパ(左)、まさきくんのお爺ちゃんが現れた。
終了後、指導者ミーティングもそこそこに、帰宅する。急いで昼食を摂り、小学校へ向かう。
末っ子の学校行事の後始末のお手伝いだ。この小学校とは20年に及ぶお付き合いだが、本年度をもって終了する。
ホッとする気持ちと、淋しさが同居する秋の空ような感傷がある。あと幾度足を運ぶのだろうか。
帰宅後、乾燥中の鮭の様子をチェックし、ヘボゴルフの練習。反省はあれど、学習効果のない作業と感じながら、練習と実践のギャップに・・・・・
夕方からは鮭の燻煙、試作のつもりが、良品の期待が募る。
そして、HPのUPに力が入る。
昨年退職した知人から早朝にメールを頂いた。Webの技術を磨いたが、掲載できる内容を持ち合わせていない悩みを訴えていた。
多忙な秋の休日ではあったが、それは充実と幸せなのだろう。

2004年9月25日(土)
日本ジャンポリー、世界ジャンボリーを北海道で!?!?

明日、9月26日はボーイスカウト北海道連盟の臨時総会が開催される。
メインテーマは15NJ(2010年の日本ジャンボリー)、22NJ(2011年の世界ジャンボリー)を北の大地・北海道に誘致するための立候補をするか否かを審議するものです。
昨年から15NJについての議論が交わされる中、22NJの話が急きょ浮上してきました。
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(小さい頃の思い出)
 ボーイスカウトのジャンボリーを記念する切手が発売された。その当時、切手収集を趣味としていて一枚購入した。
 ボーイスカウト自体への憧れ、大会が記念切手となるような国民的イベントのように思われた。
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このような、一大イベントが身近に行われようとしているのだ。今、周りにいるスカウト達にとっては非常に幸せな時が訪れようとしている。
諸手を挙げて、挙手したいところだが、素直な気持ちになりきれない。札幌22団の指導者も同じ気持ちでいる。その心底は何か。この抱えた課題は、果たして克服することができるのだろうか。
少なくとも、現状における私たち指導者の力だけでは無理があるように思える。
どのように克服するか、明日の他の組織の考え方を聞いてみよう。

2004年9月14日(火)
嬉しい誕生日です

本日は○□歳の誕生日でした。
歳を重ねることに、僅かばかりの抵抗感があります。
老いに近づいていくこと、重ねる年輪に相応しい熟成が得られていない焦りでしょうか。
しかし、10歳若返りたいといったような気持ちはありません。
今年の誕生日は勢ぞろいの家族全員から祝っていただきました。また、プレゼントも沢山で明日から早速身に着けます、お財布(これは訳ありで淋しい)、ネクタイ(何故か、水木金の日替わりができる)、ハンカチなど、姫、子供達、4人の爺ちゃん、婆ちゃんから頂きました。幾つになってもプレゼントは嬉しいものです。
更に、メールを開いてビックリです、ゼンマイ仕掛けの猫が飛び出すかのように「追憶」のメロディと素敵なメッセージ、ビーバースカウト(勿論、保護者の方からです)からのお祝いのメッセージです(一部を切り抜いて左記に貼りました)。
皆さんのおかげ今日があり、明日がある。
さあ、明日から周りの期待を心のかてに元気にガンバルぞ。
嬉しい、嬉しい一日でした。感謝。感謝。

アメリカからのメッセージで、読むのに苦労しました。
2004年9月11日(土)
今日は家事でてんてこまい

今週末は、久しぶりに、スカウトの活動、行事がなく、マイペースの休日です。
午前は一週間分の食材の買い出し。秋刀魚を一箱(30匹)、衝動買いしてしまった。どうも大量買いをする習性がある。秋刀魚の箱買いは今秋2度めである。我が家には、お魚の調理は暗黙に私の役割となっている。
さあ、どう捌こうか。とりあえず、今夜は秋刀魚のお刺身でいこう。明日は塩焼き、でも食べきれない。
思案のうえ、10匹はお刺身、5匹は塩焼き、残り15匹は煮物にしよう。一同からブーイングが起こること必至。
煮物は、ぶつ切り(身の部分を4つに切る)にして、缶詰の蒲焼風の味付けで煮込む。味醂、醤油、砂糖に加え、生姜、今回はスパイスを加えてみることにした。しつこく、ジンジャ更にカルダモン、タイム。結構いい味。
午後は台風の去った後の、家の周りの点検をする。トマト、きゅうりを抜いてしまうことにする。葡萄も弱っている。台風とは関係なしに、芝生の雑草も気になる。
久しぶりに芝刈りをするが、何やら、芝よりも雑草の方が多いような感じ。ようし、思い切って芝を剥がし植え替えすることとしよう。夕方まで休みなしに作業をするも、終了せず。明日に持ち越し。
明日は、引き続き、芝の作業です。終わったら、ゴルフの練習でもしようか。

またしても、neneさんから無断借用
2004年9月8日(水)
9月8日は特別な日

台風18号は大きな被害をもたらした。
今朝は何時もより早く、5時半に起床した、台風のご機嫌を伺うためだ。雨は止み、風も大したことない。昨夜の「そなえ」があったからかと安堵。
普段通りに出勤を試みると、報道では間引き運転のはずのJRが全面運休ではないか。急きょルート変更でバス・地下鉄を乗り継いで、若干遅刻の出勤でした。
職場では瞬電断でパソコンがダウンする。ビルの4階から外を見ると、木々の葉、小枝が屋上を超える高さまで舞っている。グランドホテルとの間に、まるでトンボの大群が押し寄せたかのように見える。頑丈な窓のガラスも強風で歪んでいる。
自宅の様子を確認するために電話してみると、ライラックが倒れているとのこと。ライラックは当サイトの近郊の様子でお伝えしたことがあるが、毎5月に爽やかな季節の訪れを伝えてくれる札幌の花です。
お昼にビルから外に出て見てビックリ。街路樹がなぎ倒され、札幌駅前通りが通行止めになっている。更にお客様を訪問するために地下鉄大通り駅に向かうと、大通り公園の大木が倒れ、駅の屋根にもたれかかっているではないか。北大のポプラも半数が倒壊。思いのほか、大きな被害をもたらした台風18号でした。
昨年の今日は女房殿がが病に倒れ、呼吸停止に至った日です。長い・辛い闘病生活から立ち直った女房殿の身代わりがライラックだったのでしょうか。明春からは違う花が春の訪れを告げてくれることでしょう。

携帯のカメラで撮影。
倒木の後ろの窓は地下鉄大通り駅(北西)です。信じられないような光景です

何だか樹の叫びがある拓児画伯の絵のような感じです
2004年9月7日(火)
台風18号

札幌にまた台風が来るなんて。台風18号は影響のないところを通過して欲しいものです。広島では瞬間60メートルを超える風速を観測したそうです。私の勤める会社の系列の広島の会社ではビル毎揺れて、停電のため、自家発電で凌いでいるようです。
永年暮らしていて、台風は北海道を直撃しないものと思い込んでいました。
今年は一寸違う。先週の16号は札幌をかすったけれど、たまたま仕事で出かけたところで直撃されました。それはそれは大変な遭遇でした。スーツはベシャベシャ、靴はグッシャリ、宿泊先では乾燥とプレスで苦労しました。
一昔前、名古屋で経験した台風は街路樹を根こそぎ吹き倒すものでしたが、それにつぐ経験です。
16号からわずかの時間を経て、18号です。
沖縄の方達の台風に対する「備えよつねに」を新聞で読みました。いつも、沖縄の被害は最小限です。
今夜は、懐中電灯に電池を入れ替え、各部屋に配備し、万が一の地下室の浸水に備え、照明用のランタンにガソリンを満たし、気持ちだけの「そなえ」をしました。女房殿曰く、大げさね・・・・・

先週の台風一過後の納沙布岬。
2004年8月25日(水)
見る眼がある

運転免許証の再交付でショックな出来事があった。
お財布ごとに免許証まで紛失したことへの悔しい気持ちで、再交付の手続きへ出かけた。
提出書類に貼付した写真は、数年前に社員証用に撮影したもののうちの残りの1枚で鮮明に撮られている。
係員は書類の記載事項を丹念に確認したうえで、私の顔をジーと見つめる。首を傾げて、この写真は何時のものですか?。
咄嗟に、昨年7月に撮影したものです・・・と答えてしまった。規則では六ヶ月以内でなければならない。
撮影し直して下さいネと優しく言われた。写真にはもちろんのこと撮影日なんかない。
なぜ見抜かれたのだろうか。体重の変化はない、眼鏡も同じもの、風貌も変化なしと思っている。
撮り直した写真と比べて見ると、ン、・・・・。納得。いや納得がいかない。
よーく見ると、頭髪が3本少なくなっているではないか。
4番窓口の若き係員さん、君は見る眼がある。目こぼしして欲しかった。私にとってアッパーカットの後のボデーブロー、効いた。

2004年8月21日(土)
苫小牧、明日は決勝戦

このところ、元気を出させてくれる話題がたくさん。
アテネでは、連日、日の丸ラッシュ。
エッツ!、この種目で金メダル!!、予想を覆す嬉しい情報がてんこ盛り。
おかげで、寝不足の日々が続く。
更に、甲子園では我が南北海道代表の駒大苫小牧校が快進撃。
昨年の8対0からの悪夢を乗り越え、北海道勢としては甲子園での通算50勝となる二回戦勝利、
更に優勝候補でもあった東京代表を撃破、勢いは止まらない、注目の横浜をもねじ伏せる。
76年振りとかの準決勝進出を果たす。
本日、準決勝を一部始終を観戦することができた。ここまで来たからには是非とも明日も勝利し、北海道に優勝旗を持ち帰って欲しいものだ。
北海道を元気付けてくれる、道産子の活躍に拍手、元気をありがとう。
本日のビーバー集会は、試合開始に間に合うように早めに解散。

でも、今日の私は今ひとつ元気がない。
恥ずかしいけれど、昨日お財布を紛失。現金(ジャンボの当選金とお小遣い)、キャッシュカード、クレジットカード、免許証、沢山貯まっているポイントカードなど。
全てがパー。この事実が判明した時刻直後に様様な連絡を下さったS村さん、U野さん、F島さんには誠意のない対応しかできずごめんなさい。後から反省です。
小銭入れから帰宅のJR切符を買うと残金は4円でした。意気消沈で帰宅だったのです。

2004年8月10日(火)
夏休み初日??

ボーイスカウト札幌22団の団キャンプを終え、ホット一息。
私にとっての、夏休みの一大イベントを一つ終え、次の課題、夏場の燻製作りに入る。知人からのリクエストに応えたく、新たな挑戦が始まる。
サーモンとサンマを大量に作ってみよう。昨日から素材の調達、魚捌き、趣味とはいえ緊張の連続。
現在、深夜帯にさしかかる時刻で作業が一区切り。。
本日の午後は、真夏の海を見に小樽・塩谷へ出かけた。いつも、ふっと訪れる場所だ。四季折々の海の色を見せてくれる。
北ホテルでお茶を飲みながら、窓越しに遠くは積丹の先端まで望める風情に見とれる。
昨日、この席に古谷一行さんがプライベートで訪れ座っていたとか。
このホテルは近年「火曜サスペンス・北ホテルシリーズ」の舞台となっている。いつも主役は古谷一行さん、前回は長門・南田さんが加わっていた。今後はシリーズとして続くらしい。
先月に撮影があり、10月に放映されるそうだ。明日は久々のヘボゴルフ、いかなるスコアか。

2004年8月6日(金)
団キャンプ出発

この2、3日の間に発生した珍事を乗り越えて、本日無事に先発隊が出発した。
昨夜の緊急対策会議にて、急きょ役割分担を変更して急場を乗り切ることにした。
そこは、何と言ったって、日常鍛え合っているボーイスカウトの仲間同士だ。
急きょトラック運転手に変身したBVSのY副長、高速道路でアクセルを一杯に踏み込んでも80キロしか出ない車でご苦労されたのではないか。後尾を追走するスカウト輸送車(私も含め)もイライラ。

今日も暑い日だった。身も心も暑かった。積み込み作業で汗ビッショ、現地での設営で再び汗ビッショ、汗で濡れては乾きを繰り返すTシャツからは臭気が漂ってくる。しかし、昨今は、ディスプレイに向かいキーボードを打つのみ、鉛筆を持つこともなく、持つものは箸程度。久々に筋力を駆使し、心地よい重力の存在を確認する。

明日からちびっ子ビーバーとの戦いだ、熱い暑い〜一日が待っている。思いっきり汗をかこうか。
2004年8月1日(日)
7月の訪問者の分析です


neneさんから無断拝借

7月に当HPを訪れてくださった方の分析です。
当HPはWebaliserというソフトで、Webサーバーのログを元に分析しております。
訪問者数は1,360です(一日平均:43、最大:69)、ただし、30分以内に同一IPからの訪問はカウントしていません。
7月に新たに訪れてくださった方は662でした。

曜日では、月曜、日曜が多く、週末に向かうにしたがって減少する傾向にあります。
これは、多分、私がHPを更新するのは大半が日曜日であり、リピータの方に見抜かれていることが想定されます。

時間帯では、22時台、20時台、17時台、0時台、12時台の順となっております。
昼間帯より夜間帯が多いようです。

ご覧いただいているページでは多い順に、日記、ボーイ隊活動、ビーバー隊活動、美味しかったもの、団関係者専用、富良野、近郊、リンク、ベンチャー、スカウトトップ、燻製の楽しみ方、プロフィール、ビーバートップ、燻製設備用品となっております。
非常に意外な気がしております。
どちらかと言うと、本HPでは付属品的なページに人気が集まっていること、意外にも燻製は伸びていない(尤も、7月は殆ど更新していない)ことなどです。
納得はボーイ隊、ビーバー隊の活動が多くの方にご覧いただいていることでしょうか。

今後、更に発展させていくうえで、貴重な情報を得ることができました。
当然ではありますが、誰にご覧いただいているかは分かりません。

2004年7月18日(日)
ビーバーと楽しい一日?
今日は札幌地区の集会だ。我が隊からはスカウト、指導者、保護者全体で25名近くの参加だった。天候・陽気に恵まれ、広い公園で伸び伸びと過ごせたと思っている。
今年の欲張った夢の一つに、ビーバーが10名(2桁の隊員)を掲げているが、遂に達成した。春に転勤等で3名が抜けたにも関わらず、目標達成。嬉しい限りだ。
この子達の活動後の写真を見ていると、皆笑顔、隊長から小言を沢山言われ続けているにも関わらず、楽しかったんだナ。
無邪気なこの子達の進歩をユックリと見守ってあげよう。
今夜は家で焼肉をする。食べ終わり、陽も落ちて暗くなってきたとき、炭の残り火が放つ暖かさ、ボーとした明るさが心地よい。火を使う唯一の動物・人間の特権か。暮らし向きは大きく変化しているのだが、DNAは憶えているのだろう。
2004年7月10日(土)
ビーバーの活動は無いのだが

久しぶりに燻製を作ってみよう。冷凍保存してあったサンマを解凍し、仕込みに入る。長期保存していたせいかサンマに今ひとつ元気がない。
昨夜、冷凍庫から冷蔵に移したが、半冷凍の状態で下ごしらえ、塩漬けに入る(25匹)。
これとは別に、朝イカを一箱(30杯)購入し、お刺身用に調理する。今夜はイカ刺しでビール。
午後、先輩のS吾氏とゴルフの練習に出かける。S吾しが撮影してくれたフォームを見て、ナルホドと反省し、改善を試みるが旨くいかない。むしろ、意識しすぎで悪化。でも、練習場ではそこそこなので、時間が許せばコースで試してみようか。
団委員のS藤さんがPCを購入し、ネット接続が完了する。また、M田さんも本日からトライ、旨くいかずフォローする、明日は何とかなるか?。
ビーバー入隊の問い合わせがあった。小学1年生の男の子。ネット接続ができるとのことなので、口頭で説明するより、本HPを見ていただき、メールで感触を伝えていただくように案内する。10分後には、次回の活動を見学したいと連絡あり。
さあ、明日はベンチャー隊の豊平川イカダ下りだ。カメラマンとして活躍しようか。夜には勇姿を掲載できる。オット待て、ベンチャー隊のページが無いではないか。突貫で作る。請うご期待。ビーバーの活動は無いのだが、スカウト活動の延長で忙しい一日であった。

2004年7月8日(木)
日記は毎日?

なかなか、落ち着いて日記を書く時間(?)が割けない。何やかにやで、ついつい疎かになってしまう。
ひっそりと、日々の記録でも残しておこうかと思い、また非公開でメモ代わりにとの想いでいたが、公開してしまうことになった。
最近、このサイトを訪れてくださる方にご覧いただいた場所を分析してみた。

その結果に唖然としている。最も多いのは予想通り、ビーバースカウトの活動記録だが、次は暫定的に開放しているボーイ隊のページだった。恐縮の限りだ、ここを見て、はい・さようならという方が多い。早急にボーイ隊の改善をしなければならない。
悔しいのは、燻製のアクセスが思ったほど伸びていないことだ。納得がいく。このところ、暖かいので新たな燻製つくりに挑んでいないため、新しい情報を発信していない。HPを作った以上、常に新たな発信をしなければ、すぐに飽きられて、葬られるらしい。実感だ。
意外だったのは、この日記とか美味しいもの、最近掲載した富良野・美瑛がとても多くの方に見ていただいている。

分かったこと:頻繁に丁寧に情報をお伝えすることが大切だってこと。

2004年7月3日(土)
久しぶりのドライブ

2年ぶりに富良野・美瑛までドライブに出かけた。
昨年はいろいろな事情が重なり、行くことができなかったが、2年ぶりに富良野まで出かけることができた。
長時間の同乗に耐えられるか不安混じりに出かけたが、無事に帰宅でき、嬉しい限りだ。
ラベンダーは早咲きが見頃で、山全体が鮮やかな一色になるのは再来週頃か。

2004年7月2日(金)
ドングレコが閉店

永年の想いでが一杯詰まっているシャンソニエ「ドングレコ」が7月末で閉店になる。先代が10年、今平さんが16年、延べ26年間続いた老舗のお店が無くなる。
このお店とは25年間位のお付き合いになろうか。最近はお客様の年齢も高くなり、経営も厳しいのだろう。
札幌には沢山のシャンソニエがあり健闘していたのに残念である。東京では銀巴里に代表されるように続々とお店をたたむなか、何とか持続させて欲しかった。
左の写真はキャンドルの滴が作りあげたもので、ここには多くの人の悲しみ、喜びが蓄積されている。何とか残す方法がないものだろうか。

2004年7月1日(木)
パソコンの修復が完了

日曜日深夜、パソコンを使用していて、あるトラブルに巻き込まれてしまった。
解消しようとして、誤って余計なことをし、officeを初期化してしまった。
ギャー、過去のメール(メール文、アドレス)が全て消えてしまった。
現在のパソコンは今年入れ替えたので、まだバックアップをしたことがない。
苦労のすえ、やっと本日、ある程度の修復が完了した。
寝不足の毎日。明日からは、何とかなる。

2004年6月25日(金)
ああ、週末
妻の定期健診の日だった。回復は順調。
明日はスカウト活動でてんてこ舞いか。
遂にビーバー隊は10名のスカウトで活動できる。
10名のビーバーが永年の夢だっただけに、喜びでも新た。
明日は、トンカチを持って、小鳥の巣箱を作ろう。子供達に、物を作る喜びと自然(小鳥たち)に対する思いやりを伝えられたらよい。
集会の後は、ボーイ隊の支笏湖までのサイクリングの様子を見に行こうと思っている。
残念なことに、ボーイ達の参加が極めて良くない。私はボーイ隊の年代の子供達が長いスカウト活動のなかで、一番の実りを享受できる年代と思っている。それゆえ、目一杯の体験、経験をさせたい。
この子達がスカウト活動をやって良かった、大人になった時、心の支えになるようなスカウト活動であって欲しい。
22団全体が活力のある、元気一杯の集団となるにはまだまだ課題がある。
あ〜、これが日記とは寂しい限り、誰かに見られる日記なんてありえない。読まれて良い内容に書いてしまう。本音25%
2004年6月24日(木)

早起きしました。眠い目をパチパチ。
食べ頃のさくらんぼの収穫。小さめのボールに満杯でした。
収穫量約1.5`、ご迷惑をおかけしている近所の方にお裾わけ。
真っ赤な美味しいそうなところは小鳥ちゃんが目聡く「ご馳走さま」でした。
早起きで少々寝不足でしたが、さわやかな一日スタートです。
夜は、かつての仕事の大先輩とお食事。燻煙の仲間入りを望んで
いましたが、厳格な審査(何もなし)のうえで、燻製工房の仲間に
お迎えしようかな。S吾様、容易ではありまぜぬぞ。